4月13日(金)
入江監督の映画「天から見れば」を観ました。
会場が東京・新宿の角筈区民センターでしたが、16年ぶりに訪れました。
当時、住んでいた場所に近く、1歳の長女を連れて来たことがある場所でしたので、
懐かしさで胸がいっぱいになりました。
今回の上映会は、入江監督の講演とセットでしたので、二倍味わえました
公的精神が無いと、この映画は作れるものではないと思います。
改めて、神様との共同作品なんだと思いました。
第一作目の映画は145か国語に翻訳され、
各国でとても高い評価を受けているという事実を見ても、
世界中が認めざるを得ない真実が描かれているからなんだと思います。
今、こうして揺れ動いている時代だからこそ、
変わらないものに立ち返る必要があり、
一人一人がそれを感じ取っているのではないでしょうか・・・
三作目の「天から見れば」は赦しがテーマと受け止めました。
大西順教尼の生きた道は日本のマザーテレサともいえるような気がします。
自分を大切に育ててくれた養父、心から尊敬していた養父に
家族を殺され、自分は生き残ったものの両腕を切り落とされた
世に言う「堀江6人切り殺し事件」 明治38年・6月21日
当時まだ18歳の順教尼(大石よね)は、事件で両腕を失ったばかりというのに
警察からの事情聴取で“父の刑が軽くなる為に私に出来る事は何ですか?”と尋ねたと言います。
踊りの名手としてその名を轟かせていたよねは、大切な両腕を失ってしまったんです。
憎んでも憎み切れないであろうはずの父を、直ぐにも許せたのは何故なんでしょう
そんな父の為に墓を建てて、供養し続けたと言います。
十代のよねがした事です。
映画はその順教尼の最後の弟子、日本画家の南正文さんへのインタビューと、再現ドラマを元に描かれた作品です。
今は、南さんがお墓の供養をされています。
入江監督は順教尼の著した本「無手の法悦」を読んで、心をわし掴みにされたと言います。
私も本を読んで、感動で涙が止まらないという経験はありますが
だからと言って映画にしようとは思えません。
でも入江監督は作ってしまわれた。
突き動かされて始めた事は、
突き動かした「何か」がやり遂げてくれるような気がします。
先日、一緒に撮った写真を手渡してご挨拶して参りました。
年内に自主上映したい映画です。