形あるものは一切持ち帰れない。
主人の遺骨を拾いながら
“この肉体さえも置いていくんだ”と思った。
どんなに容姿を磨いてもいずれ、骨になるんだ。
どうせ魂だけになるんだったら、綺麗な魂になりたい。
火葬前まで苦しんでいた小5の長男は、
火葬を終えると、主人の遺骨を見てこう言った。
“ざまぁ見ろ、これでガンも灰になった”
病に犯された肉体も置いていく。
人生の最後に問われるのは、
どこまで到達したかの「ポジション」ではなく
どちらを向いて生きてきたかの「ベクトル」だと思う。
「何の為に」という方向性。
私はまだまだ歩み遅いけれど、
ベクトルだけはぶれないように生きているつもりです。
もうすぐ(12.14)主人の3回目の命日です。