陸前高田の慈恩寺を尋ねました。
こちらのご住職、小山敬光さん
こちらのお寺は海が見渡せる、比較的高台にありますが、
3,11当日はそれでも床ギリギリまで津波が押し寄せて、破壊された部分もありました。
ご住職自身、妹夫婦と甥っ子を亡くされたそうです。
境内の一角に慰霊塔があり、お参りさせて頂きました。
両手の平に丸い形。
魂なんでしょうか、地球なんでしょうか
「やすらぎ」 と記されています。
3.11の震災でお寺自体も壊れてしまった部分もあったようですが
当時はたくさんの方々がここに避難していたようです。
休憩所のような場所がありましたが、建物の中の壁には
応援メッセージが書かれてあり、私も一筆書かせて頂きました。
『 生かされた命 召された命 活かし切りましょう 』 と
辛い音 ひどい音 悲しい音 そんな心の本音を観てあげる
同じみるでも 「見る」と「観る」は違う。
目に見えない物を心の目で 観る んだそうです。
このお寺の観音様は本当に美しかったです。
左手に蓮の花を持っていますが、蕾の状態です。
まだ咲いていない、これからなんだ!これから咲くんだ。未来はある。
という希望を象徴しているようです。
そして観音様の足元を初めて見ました。
左足が半歩出ています。
これはいつでも
あなたの為に
一歩を踏み出す
準備が出来ています。という
現われなんだそうです。
『生かされている自分を感謝し
報恩の行いを積みましょう。』
報恩の行いとは
伝えていくことだと
おっしゃっていました。
震災から1年半の年月が過ぎて
被災された方々が
体験談を話始めてきたそうです。
私達には伺った話を伝えていく役割があると思います。
教訓も含め、語り継いでいくべき内容があります。
生きているという事は、生きることを許された立場にあるんだと思います。
そして私たちは生きると決意して、自ら母の体を出てきたはずなんです。
途中で自分でピリオドなんか打ってしまったらいけない。
そして他人を自殺に追いやるようなことをしてはならない。
被災地での自殺者が少なくない現状、
事情を聴いてあげるだけで、相手が楽になれるのでしたら
耳を傾けてあげたい。と思います。
慈眼寺で頂いた昼ごはん
このつみれ汁は本当に美味しかったです。
体だけでなく心まで温まりました。
有難くて有難くて、
ご住職が、我々の食べる様子をなんとも嬉しそうな表情で見つめながら、
“ この瞬間がうれしいねぇ~、こうして遠くからやってきてくれるんだから。”と
しみじみとおっしゃいました。
帰り際には “ここはみんなの故郷だからね”と 言って下さった。
もう一つの実家が出来たような気がします。
初めての場所がこんなに懐かしく感じられるのは
いったいどうしてなんだろうと思っていたのですが、
ご住職の懐の深さが、そんな風に思わせたのでしょう。
また必ず伺います。