2011年8月20日土曜日

No16・日高市音楽の集い

『第10回 日高市音楽の集い』がいよいよ2週間後に迫って参りました。

この演奏会の司会を務めるようになってから、早5年。

この司会に関しては とても思い入れの深い、やりがいのある仕事です。

私のブログのバックナンバーをご覧下さい。【6月号】

3時間半の演奏会で出演団体が8つ 長い演奏会です。

お客様がだらけてしまわないよう、途中で席を立たれないよう、

最後の合同演奏まで残っていて貰えるよう

司会者として、精一杯務めています。

たかが司会、されど司会。

主役ではありませんが、主役を支える名脇役になりたいと思ってステージに立っています。

実は2年前の司会は、精神的に辛い中でこなしました。

主人の癌が再発した為、2度目の手術をすることになり、入院するという日

私は司会を優先し、付き添ってあげられませんでした。

主人の病気は、身内にも伝えていなかったので

周囲は、私の状況を知る術もなく・・・

でも私は心が引き裂かれるような思いで、マイクを握っていたのです。

すぐにでも飛んで行ってあげたいと・・・

司会が終わって、急いで帰宅すると・・・

入院しているはずの主人が家にいるではないですか?

聞くと、余命半年。医者に手術は無理と言われて、帰ってきたとの旨。

あの時の衝撃は今でも忘れられません。

主人の前に立ち尽くし、主人の目を見つめながら

体が凍りつく様な、呼吸すら出来ない様な、場面が一時停止した様な・・・

私の中では主人が息を引き取った瞬間よりも

ショッキングな瞬間でした。

そんな深刻な話を、主人はたった一人で医師から聞かされたのです。

私は傍で一緒に聞いてあげられなかった・・・

妻なのに。


本の少し前までステージに立ち、スポットライトを浴び、

大勢の人前で、華やかに振舞っていた私は

奈落の底に突き落とされた様な感覚でした。

”嘘だ、嘘だ、絶対に嘘だ!半年後にいなくなってしまうなんて有得ない!”

その場に立っているのが精いっぱいでした。

「音楽の集いの日、主人は余命を宣告された」 と・・

私の中では、そんな切ない日となって残ってしまいました。

昨年の音楽の集いの後、打ち上げの場で初めてスタッフに告白しました。

どんな気持ちで舞台に立っていたのかを。

一年経って、ようやく心情を吐露して、少し楽になりましたが・・

あれから更に一年。

心の傷はなかなか簡単には消えないものです。

どうしても思い出してしまう・・・

それでも マイクを持つ時は微塵とも出さない、出せない。出してはいけない。

大丈夫です!

私は大丈夫。

今年も笑顔で頑張ります。

頑張るというより、楽しみます。

会場の皆さんや、演奏者の皆さんと共に音楽を満喫します。

是非、いらして下さい。