2011年12月4日日曜日

No2・三回忌

12月4日(日)

主人の三回忌を行いました。

我が家は仏式ではないので、三回忌という節目は特にないのですが

2年目の節目という事で、親族が集まり、墓前にて

生前、親交のあった高麗神社の高麗宮司に祝詞をあげて頂きました。


霊園内の山々は色付き、

特に園内入口から続く銀杏並木は、太陽の光を受け黄金色に輝いていました。

別世界へと導かれていくような、それはそれは眩く美しい光景でした。

12月とは思えないくらいの温かい日差しに照らされた、主人の墓は

何だか生き生きとして見えました。

時折吹き抜ける風、肩を抱く陽だまり、そして、いつもの紋黄蝶・・・

それらの現象の一つ一つに、主人の気配を感じました。

12月のこの季節に何故、蝶が飛んでいるのでしょう

しかも主人のお墓の周りを・・・

いったい、いつの間に、どこから飛んできたのでしょう

長女と次男は “あっ、お父さんだ!”と、目を輝かせて言いました。

以前のブログでも紹介いたしましたが、家族揃って出かけたり、

主人との思い出の場所に出かけると、そこに必ず紋黄蝶が現われるのです。

こんな事ってあるんですね・・・

少し前に、ある方に唐突に聞かれました。

“最近、黄色い蝶は出てくる?”と。

私と紋黄蝶を結びつけて、声をかけて下さったという事は

私のブログの読者さん?

“ブログを見て下さったんですか?”と尋ねると、微笑んで下さいました。

バックナンバー8月号No11



集まって下さった親族、友人、高麗宮司と、会社で昼食を共にしました。

昼食は「さんだ」のお重と、お決まり「キリタンポ鍋」

鍋ごと運んで貰い、お店の方に配膳までして頂きました。

アツアツのキリタンポ鍋は大好評でした。

「さんだ」さんにお任せして本当に正解でした。

バックナンバー9月号No11、No12、 10 月号No19

そして、食べながら、それぞれのこの一年間を報告し合いました

その中で、新潟に住む主人の父の言葉はとても心に残りました。

“子供から学ぶ事なんてあるものか?と思っていたけれど、

秀夫の生きざまから学んだことがあります。” と 切り出し

主人の告別式で読んで頂いた、4人の方々の弔辞の内容に触れ

それだけの功績を残した事が信じられなかったと・・・・

研究一筋だった主人は、ここ日高市に越してきてから

地域に根差した活動を積極的に行うようになり、

自治会でも責任ある役職に就き一生懸命に務めました。

そういう中で地域の皆様から大きな信頼を得る事が出来ました。

同じように研究一筋で生きてこられた義父は、主人の生き方を知って

これまで自治会活動には関心が無かったそうですが、昨年から

自治会の役員を引き受け、研究以外でも忙しくしているらしいのです。

息子から学んだ事だと。

以前に比べて、ずいぶん穏やかな顔つきに変わられたような気がしました。
長女は、主人の影響を受けてか、研究職に就きたいようで、

最近は微生物の活用性に関心があるようです。

主人が生きていたら、間違いなく主人の助手になっていたでしょう

何を祈ったのか・・・?

私にとってはまるで「第二の夫」の様に、頼りがいのある娘です。

主人があちらに引っ越ししてから、もうすぐ2年。

早いものです。

子供達もずいぶん逞しくなりました。

体も心も成長しました。

つくづく、私は幸せ者だと思います。

最愛の人を失ったけれど、その悲しさや、寂しさ、不安、を埋めるだけの

優しさ、思いやり、愛情をたくさんの方々から受け取りました。

なので、残った物は結局、感謝の思いです。

主人の遺影に向かって、出て来る言葉は「ありがとう」しかないんです。

家も、車も、会社も、人脈も、4人の子供達も、

主人が残して行ってくれたものは計り知れない位、たくさんあります。

「想い出」 よりも、「未来」 を残してくれた気がします。

亡くなる前の晩、“これまでありがとう” と言葉にして伝える事は出来ましたが、

2年経って、改めて、心から “ありがとう” を届けたいと思いました。

そして今、我々家族を支えて下さっている方々への御恩を忘れずに

謙虚に生きて行きたいと思います。