2011年12月12日月曜日

No8・ナレーション撮り

12月7日(水)

東京・国分寺のスタジオでナレーション撮りをしました。

久しぶりのナレーション撮りでしたが、映像が興味深かったので

楽しみながらやらせて頂きました。

依頼側の社長さんに喜んで頂けて良かったです。

画面に顔を出さず、声だけで情報を伝えるには集中力が要ります。

顔の表情で誤魔化す事が出来ないからです。

でも、基本は“伝えたい”思い、これが大事です!

No7・アニキ塾

12月11日(日)

東京都内で、アニキ(筒井正浩氏)塾・東京第1期生最終講プレゼン発表会が行われ、

私が司会を務めさせて頂きました。


会場には約60名のお客様がご来場くださり、プレゼンター12名のスピーチに耳を傾けていました。

講師の「アニキ」こと、筒井正浩さんは年間200回の公演で全国駆け巡っていらっしゃいます。

学校や企業等、1000名以上の前であっても、少人数の集まりであっても

人と向き合う姿勢は変わらず、愛情たっぷりに話して下さいます。

ですから、ワークショップの内容よりも、アニキの人柄にひかれて集まって来るケースが多いようです。

確かに、速読のスキルは効果を生んでいて、実績もありますが、

それ以上に、愛情で人を引き寄せてしまうんです。

私は今年7月に、速読1Dayセミナーに参加させて頂きましたが

バックナンバー7月号No5

あの時よりも、大きく、広く、そして、ますます謙虚になられたように感じました。



アニキはてんつくマンともコラボしているので、会場内のお客様はほとんどの方が

てんつくマンを知っており、てんつくマンの映画も観ている方々ばかりでした。

講演会を主宰する旨を告知しますと、皆さん早速スケジュール帳に記入して下さいました。

また、先日、飯能で開催された「登山家・栗城史多」講演会の会場にいらしたという方もおり、

私が壇上でてんつマン講演会の告知をしたのを覚えていて下さり、

声を掛けて来て下さいました。

私が立ち上げた、「チーム・和と輪」の名前の如く、

人と人がどんどん繋がって行くのが見えるんです。

以前も紹介しましたが、“人は腹を括ると人を引き付ける”という言葉

それは頑張っている人を見て応援したくなるからだと思います。

精一杯頑張っている人は、それだけで、人に勇気を与えます。

極たまに、頑張っている人を妬んだり、邪魔をしたり、いじめたりする人もいますが

よく考えてみれば、それも大事なお役目なのかな・・・と思います。

それでもぶれないか?心は揺るがないか?本当に大丈夫か?

それを確認する為に用意されたお役目の方々。

相手の思い込みで判断されて、傷つくこともありますが

何事も無いと、現状維持のままで心は鍛えられませんから、

色々な感情を通過した方が、強く、また優しくなれると思います。

出来事は変えられませんが、出来事に意義付けをする事は出来ますから

大失敗の出来事でも

“**を学ぶ為にはあれくらいの失敗でなければ気付かなかった・・・”と

意義付け出来たら、成功への道標としての必然的出来事となるわけで。

過去は変えられるものではないけれど、どう捉えるかで、いくらでも印象は変わって来ます。


また、傷つく言葉、無神経で乱暴な言葉、感情的な言葉、嫌味な言葉、刺々しい言葉・・

そんな言葉を浴びせられた時、深呼吸して

“ありがとう、ありがとう、本当にありがとう!”と、

たとえ感情が伴っていなくても、とりあえずは言ってみる。

怒りに自分の心を同調させないために。

弁明するのもエネルギーがいるので、どうせエネルギーを使うのだったら

相手の為に、相手の心の波が沈まる様に祈る。

なかなか難しいですが、そうやって成長して行きたいと思います。

2011年12月9日金曜日

No6・再び京都へ

来たる2016年、高麗郡建郡から1300年を迎える為、

日高市では着々と準備を進めている所です。

私は「高麗郡建郡1300年記念事業・実行委員」として、

改めて色々と歴史を学んでいるところです。

昨年は「平城遷都1300年」の年でしたので、奈良に取材に行き、

その様子は、飯能日高ケーブルテレビでオンエアーされました。

今年、京都の伏見稲荷は鎮座してから1300年という事で
伏見稲荷の朱色の鳥居が続く小高い山を実際に頂上まで登りました。

奈良に行ってみて初めて感じた世界があった様に

1300年という歴史は、現場の空気や残っている自然に触れてみないと分からないものです。


国宝第1号の広隆寺の紅葉は本当に美しかったです。


東京から一緒に行った中村君(21歳)と一緒に紅葉の中で。


ご覧下さい!この燃えるような紅


来年早々、あるジャーナリストに都内でお会いすることになり、

それまでに、その方の本に登場する場所を実際にこの目で見ておきたいと、

まず訪れたのが、京都太秦の蚕の社、木の島神社

鳥居が3本あるんです。

いったいどうした分けか?

そのジャーナリストの見解が実に面白いのですが・・・

詳しくは来年、ご報告いたします。

この方の最新の書籍に、てんつくマンの活動にも触れていましたので

とても気になるジャーナリストです。



おもかる石

自分の夢を思い浮かべながら、石燈籠の上の丸石を持ってみます。

思ったよりも軽く感じた人は、その夢は比較的スムーズに叶う

しかし

重くて持ち上げれない人には、なかなか難しい夢

ということで

私も挑戦。実は想像以上に重かったです

いえ、かなり重かったんです。

“軽々と持ち上げてしまえるような夢は見ないもん!”と

切り替え

逆に“頑張って見せる!と、気合が入いりました


天気予報では降水確率が高く、途中雨がぱらついたのですが

ここぞという時に、不思議と太陽が顔を出すんです。

伏見稲荷の頂上にたどり着くまでは、確かに曇っていたのですが

頂上に着くと、いきなり太陽の周りの雲が、すうっとひいて

見事な太陽が姿を現しました。

ここが伏見稲荷の頂上です。

頂上までたどり着いた達成感に加え、そのご褒美の如く

後ろを振り返ると、

美しい太陽が・・・・

思わず両手を合わせてしまいました。   
 
登った甲斐がありました。

21歳の中村君は頂上に設置してあるおみくじで大吉を引き

喜んでいました。

まだ若いのに、神社巡りが好きな彼は大満足の様子。

日帰りの京都でしたので、じっくり写真を撮る間もなく

慌ただしい一日ではありましたが

内容の濃い一日となりました。






                                                    

No5・埼玉テレビに出演

12月8日(木)

テレビ埼玉の『彩の国ニュースほっと』で日高市の名物「高麗鍋」のPRをする為、

スタジオ収録に臨みました。

日高市で行われる『高麗鍋コンテスト』の今年の優勝チーム、

『食彩房・はし本』の橋本さん

裏で撮影用に盛り付けをしています。

日高市でキムチを作り続けて30年の「サンドラ・キムチ」

社長の加藤さんが撮影用のキムチを1㎏提供して下さいました。

リハーサルが終わり、本番待ちの時間、埼玉県のマスコットキャラクター「コバトン」とのショット
こちらがコバトン君。癒されますよね。

収録が終わり、司会の落語家・楽生さんと。

控室でしばらく話しましたが、中国に1年間行ってらしたとの事

私が少し韓国語を話しますので、

中国語と韓国語の違いなどを、互いに発音しながら確認したり、

高麗鍋から高麗人参の話になり、

私もついつい、熱く語ってしまいました。

楽生さんは、薬を飲まないそうで、

風邪の時は高麗人参の焼酎浸けを愛用されているとかで

思わず拍手してしまいました。

オンエアーは、12月10日(土)am9:00~

番組の中のほんの一瞬ですが、

少しでも高麗鍋の存在を知って頂けたら嬉しいです。

2011年12月8日木曜日

No4・栗城史多

12月7日(水)


















登山家・栗城史多さんの講演会に行きました。

限界に挑み続ける、若き勇者の生きざまに頭が下がりました。

標高7500メートルから先はデスゾーンと呼ばれ、酸素濃度が地上の3分の1になる生命の存在を感じさせない場所。

それなのに・・・・

3年前、彼は世界第8位高峰マナスル(8162m)において日本人としては初となる単独・無酸素登頂に成功

2年半前は世界第7位高峰タウラギリ(8167m)の単独・無酸素登頂にインターネットライブ中継に成功

昨年は世界最高峰エベレスト(8848m)単独・無酸素登頂の挑戦、が、天候悪化の為「下山」

今挑戦し続けています。

登頂の映像はあまりにも怖くて震えるくらいでした。

もし、自分の息子がそのように死と隣り合わせの世界へ向かおうとしたら

私は止めてしまうでしょう・・・

でも栗城さんは言います。

“お前を信じてるから!”と言ってあげて下さいと。

99人に反対されても、一人が“信じているよ”と言ってくれたら

その言葉を胸に挑戦し続けることが出来ると。

27歳の青年に、大切な事を教えられました。

『高い山は酸素が少ない。

吸っても吸っても体に力が入らない

でも吸おう吸おうとするから駄目なのだ。

酸素が少ない時は、吐けばいい。

吐けば、入ってくる。

自分が出そうとしないと入ってこない。

欲しい欲しいってやってると入ってこない。

何か欲しいときは、自分から吐くこと。そして、与えること。

自分が吐き、与えることによって酸素も喜びも入ってくる 』

彼は、山から多くを教えられ、どんどん謙虚になって行く。

そんな気がします。


トークショーが始まる前に舞台袖で、ご挨拶し、トーク終了後にてんつくマンの講演会の告知をさせて頂く段取りをお伝えしました。

帰りに、栗城さんの書籍にサインをして頂きました。

栗城さんは、てんつくマンとは何度かトークショーのコラボをしているので

てんつくマンの講演会を主催する事や、今アメリカにいる事を伝えると、宜しくお伝え下さいと言われました。

“1月29日ですね”と確認してましたんで、ひょっとしたら・・・

お客様が全員退場した、空っぽの客席を見ながら

1月29日、この会場が満席になる映像を頭に描いていました。

最後列から見た映像

舞台から見た映像

1月29日、私はここで歌う

ピアノの弾き語り

曲は「希望の種プロジェクト」のテーマソング

『ひまわり』

            それに合わせて、てんつくマンが巨大書下ろしをする。

                 その瞬間をイメージしてました。

        会場と心を一つにして、感動を分かち合うその瞬間に向かって

               残りの日々を、更新して行きます。

         “何か手伝える事があったら、何でも言って下さい!”とか   

                “出来るだけ、仲間集めます”とか

                “1月29日、空けときます!”とか

       初対面にも関わらず、たくさんの方々に応援の声を頂きました。

       「動けば変わる!」というてんつくマンの言葉に押し出されるまま

                   ここまで来れました。

          日々、新たな出会いがあり、絆が生まれ、奇跡の連続です。

              一昨日、京都に向かう新幹線の中から、

            羽田空港のてんつくマンにメールで報告をすると、

      “ミラクルお越しまくりやん!ヒロコちゃん素晴らしい!!”

                と返信がありました。

       どうか、このブログを読んでくださっていらっしゃる皆さん、


   12月17日の上映会と、1月29日の講演会に足をお運びくださいませ。

               お待ちしています。

2011年12月4日日曜日

No2・三回忌

12月4日(日)

主人の三回忌を行いました。

我が家は仏式ではないので、三回忌という節目は特にないのですが

2年目の節目という事で、親族が集まり、墓前にて

生前、親交のあった高麗神社の高麗宮司に祝詞をあげて頂きました。


霊園内の山々は色付き、

特に園内入口から続く銀杏並木は、太陽の光を受け黄金色に輝いていました。

別世界へと導かれていくような、それはそれは眩く美しい光景でした。

12月とは思えないくらいの温かい日差しに照らされた、主人の墓は

何だか生き生きとして見えました。

時折吹き抜ける風、肩を抱く陽だまり、そして、いつもの紋黄蝶・・・

それらの現象の一つ一つに、主人の気配を感じました。

12月のこの季節に何故、蝶が飛んでいるのでしょう

しかも主人のお墓の周りを・・・

いったい、いつの間に、どこから飛んできたのでしょう

長女と次男は “あっ、お父さんだ!”と、目を輝かせて言いました。

以前のブログでも紹介いたしましたが、家族揃って出かけたり、

主人との思い出の場所に出かけると、そこに必ず紋黄蝶が現われるのです。

こんな事ってあるんですね・・・

少し前に、ある方に唐突に聞かれました。

“最近、黄色い蝶は出てくる?”と。

私と紋黄蝶を結びつけて、声をかけて下さったという事は

私のブログの読者さん?

“ブログを見て下さったんですか?”と尋ねると、微笑んで下さいました。

バックナンバー8月号No11



集まって下さった親族、友人、高麗宮司と、会社で昼食を共にしました。

昼食は「さんだ」のお重と、お決まり「キリタンポ鍋」

鍋ごと運んで貰い、お店の方に配膳までして頂きました。

アツアツのキリタンポ鍋は大好評でした。

「さんだ」さんにお任せして本当に正解でした。

バックナンバー9月号No11、No12、 10 月号No19

そして、食べながら、それぞれのこの一年間を報告し合いました

その中で、新潟に住む主人の父の言葉はとても心に残りました。

“子供から学ぶ事なんてあるものか?と思っていたけれど、

秀夫の生きざまから学んだことがあります。” と 切り出し

主人の告別式で読んで頂いた、4人の方々の弔辞の内容に触れ

それだけの功績を残した事が信じられなかったと・・・・

研究一筋だった主人は、ここ日高市に越してきてから

地域に根差した活動を積極的に行うようになり、

自治会でも責任ある役職に就き一生懸命に務めました。

そういう中で地域の皆様から大きな信頼を得る事が出来ました。

同じように研究一筋で生きてこられた義父は、主人の生き方を知って

これまで自治会活動には関心が無かったそうですが、昨年から

自治会の役員を引き受け、研究以外でも忙しくしているらしいのです。

息子から学んだ事だと。

以前に比べて、ずいぶん穏やかな顔つきに変わられたような気がしました。
長女は、主人の影響を受けてか、研究職に就きたいようで、

最近は微生物の活用性に関心があるようです。

主人が生きていたら、間違いなく主人の助手になっていたでしょう

何を祈ったのか・・・?

私にとってはまるで「第二の夫」の様に、頼りがいのある娘です。

主人があちらに引っ越ししてから、もうすぐ2年。

早いものです。

子供達もずいぶん逞しくなりました。

体も心も成長しました。

つくづく、私は幸せ者だと思います。

最愛の人を失ったけれど、その悲しさや、寂しさ、不安、を埋めるだけの

優しさ、思いやり、愛情をたくさんの方々から受け取りました。

なので、残った物は結局、感謝の思いです。

主人の遺影に向かって、出て来る言葉は「ありがとう」しかないんです。

家も、車も、会社も、人脈も、4人の子供達も、

主人が残して行ってくれたものは計り知れない位、たくさんあります。

「想い出」 よりも、「未来」 を残してくれた気がします。

亡くなる前の晩、“これまでありがとう” と言葉にして伝える事は出来ましたが、

2年経って、改めて、心から “ありがとう” を届けたいと思いました。

そして今、我々家族を支えて下さっている方々への御恩を忘れずに

謙虚に生きて行きたいと思います。

2011年12月1日木曜日

No24・京都2日目

11月26日(土)

念願の「鞍馬寺」と「貴船神社」に行って参りました。

パワースポットとして注目を浴びているからではなく、

亡き主人との思い出があるわけでも無く、

ある意味、主人への依存心を卒業するきっかけになった場所です。

出雲大社や伊勢神宮は、主人と行く約束をしていた場所なので、いつか行ってみたいですが、

鞍馬寺や貴船神社は、主人が亡くなってから、自ら新たに行ってみたいと感じた場所です。

最寄りの駅・叡山電車で「貴船口」下車。

風水学を元に平安京が築かれ、御所を中心とした四方・四神の内、

貴船、鞍馬は北の神 『玄武』に当たる「エネルギーの湧き出る所」だそうです。

3・11の東日本大震災後、私の中で「水」への畏敬の念が大きくなり

水の神様にお願いしたいと思い続けていました。

貴船神社は水の神様を祀っていますので、どうしてもお会いしたかった。

今、「日本」という箱舟が大きく揺れ動いています。

実は今回のブログを書こうとした瞬間、“日本は、貴い船だ ” と、

まるで啓示のような言葉が降りて来ました。

“そう言えばそうだ!”と納得しました。

でも修理しなければならない箇所がたくさんあり、いつ沈没してもおかしく無い状態です。

この貴い船に乗った貴い魂と、それぞれの使命を守る為に

何者かが、私の背中を押しているような気がしました。

龍神様かも知れませんが。

今年の5月に友人と一緒にお参りに行く約束をしていたのですが

都合がつかずに一人で行かせてしまいました。

今思うと、時ではなかったのかも知れません。
私の分まで祈って来て下さったその友人に話を伺い

どうしても年内に行かなくてはと思っていました。

貴い船、貴船神社に水の神様が祀られているのです。

私自身が人の心と体を潤す水になりたい、なれたらどんなにいいか・・・

器によって自由自在に形を変える水のような柔軟性を持ちたいものだと・・・

その為に私自身の心が枯れてしまわぬよう、私自身がいつも潤っていられるよう

何事にも感謝して行きたいと思います。

思い通りにならない事の方が多い世の中ですから。

どうにもならない事を、どうにかしようともがくと枯れてしまうので

どうにもならない事を、いったんは深い所でしっかりと受け入れる。

すると、その時を待って、捉え方次第でどうにもならなったはずの事が、どうにかなる。

そんな事が多々あります。


御神木、私も逞しく生きて行かなくては・・・と思わせられました。



そして念願の鞍馬寺。

ここでは個人的な祈りはしませんでした。というより、出来ませんでした。

代表者と言いますか・・・

今年、これだけの大打撃を受けた日本で、それでもこうして生かされている自分は

この肉体を持って、この日本でやるべき事があるのだと、身が引き締まる思いがしました。

今回の東日本大震災で犠牲になられた多くの方々に、

あの世での お役目があるのだとしたら

私達、生かされた者にも、生きて果たすべき使命がある様に思います。

またあの世とこの世で協力し合って、幸せな世界にしていけるように

力をお貸しくださいと祈りました。


残念ながら、足元が写っていませんが、私が立った場所が最強のパワースポットです。

この場に立って、お告げをうける方が多いんだそうです。

時間が無くて、奥之院までいけませんでしたが、“必ずまた来ます”と頭を下げて出ました。



こちらは、鞍馬の火祭りが行われる、『由岐神社』


こちらの割拝殿は国指定重要文化財に指定されています

見上げて圧倒されてしまいました

当然の事ながら、営利を求めて造った建物ではなく

天下泰平万民幸福を祈念して建造されたのだと思うと

やはりそこに焦点を当てて祈らざるを得なくなります。

建物を守るとは、その精神を守り受け継ぐという事ですものね



鞍馬火祭り・保存会の石田さんに案内をして頂きました。

この伝統行事は、なんと1000年以上前から続いているとの事です。

毎年10月22日に開催される鞍馬の火祭は告知をせずとも

全国から観光客が訪れ、規制をかけるほどだそうです。

鞍馬では「1年は13か月」と言われているとの事

祭礼を迎える為に1か月多く働いて準備に当てるんだとか。

1000年以上も守り続けてきた鞍馬の住民にとって

それほど格別の思い入れがあるのでしょう


頂いたパンフレットを見ているだけで、わくわくします。

この他、実相院や大原三千院にも参りました。
大原の地は仏教音楽の発祥地であり、浄土信仰の聖地です。

三千院でお見かけした弁財天様に心奪われてしまいました。

琴の音が聞こえて来るようで、しばらく佇んでいました。

翌日が歌の本番でしたので心込めて歌えるように手を合わせました。

三千院で見つけた可愛らしいお地蔵さん



三千院の入場券の裏面に記されていた言葉です

嬉しい事に、というか、有難い事に、来週6日にまた京都に行ける事になりました

不思議な感覚ですが、京都に向かう新幹線の静岡を過ぎた頃に

まだ京都についてもいないのにですよ・・・

“近々、また京都に向かう事になる”という感覚がありました。

そのリアルな感覚に全く違和感はなく

“そうなるんだなぁ~”とわくわくしたくらいです。

どういう意味があるのでしょうか?

実際に京都に到着して、特に八坂神社にお参りしている時

何日かしたらまた来る事になるという実感がありました。

映像も見えました。

何か大きな力が働いているような・・・

京都はそういう不思議なパワーの集まった場所なのでしょうか?

せっかくですから、そういう感覚を大切にしたいと思います。