2014年3月28日金曜日

母の着物

成人式や卒業式、入学式に来賓で参加する際、正装と言えばやはり着物。

失礼のないように、毎回着付けを頼んでいたが、いい加減に自分で着れるようにならなければと

着付けを教えている友人にお願いして、浅草の着付け教室に出かけた。

以前、自宅に来て教えて頂いてから3週間

この期間、練習を重ねて長男の卒業式と、次男の小学卒業式は自分で着付けして参加した。

(*鏡に映っているのでえりが反対です)

今回、約3週間ぶりに師匠の前で着て、

「お見事!」との お褒めのお言葉を頂戴した。


昨年、実家(秋田)の母が、自分の着物を送ってきてくれた。

私とは全く体型が違うので仕立て直してくれた。

母がその着物を着ていた記憶は全くないのだが

色合い、絵柄、光沢、全体の雰囲気・・・・

本当に私好みの着物で、まるで私の元に来ることになっていたかのようだった。

帯も見るからに立派なもので、どこに出ても恥ずかしくないようだった。

せっかく送ってもらったので、どんどん着たいと思い、

この度、浅草に持って行き、帰りは着物で帰った。

正装の帯、二重太鼓を教えて頂いたが背中に手を回しての作業なので

結構な運動で、肩関節の柔軟性を問われる。

以前は作り帯で着ていたが、その場で作る帯の方がいいと思い挑戦してみた。

自分で着付けも帯も出来るようになると、着た感じがちがう。

着付け教室の後、大好きな友人二人と共に、夜の浅草を歩いた。

着物はいい。着る側にとっても、見る側にとっても。

三人揃って着物姿で歩いていると、通りすがる人たちの視線を感じた。

着物は日本の宝だと思う。

着物文化を見直し、もっともっと普段から身に付けるようになったら

精神面も違ってくるように思う。

帯をしていると「腹が座る」感覚がある。

姿勢も良くなるし、仕草も、言葉使いも違ってくるから不思議

着物は女性を美しくすると思う。

来年、長女が成人式。

母娘で着物姿で歩けたら嬉しい。

この度、母から着物を譲り受けて、これを娘たちにも渡したいと思った。

母から娘へ、娘から孫へ、

代々継承されながら、価値も深まっていく着物。

東京オリンピックまでに、着物人口が増えるといいと思う。

浅草の着付け教室にはピアノもあり、なんと大画面の液晶TVもあった。

最近、私の映画の予告編上映と、映画挿入曲の弾き語りと、トークのスタイルで

ライブをしているので、このスペースはぴったりだと感じ、早速企画を立てることにした。

和服でピアノ弾き語りも悪くない。

2014年3月27日木曜日

オペラコンサートの司会

3月15日、日高市アリーナでオペラのコンサートがあり、主催団体の一つに

高麗郡建郡1300年記念事業委員会があったので

日高市のPRも兼ねて、高句麗の古代衣装姿で司会を務めさせて頂いた。

お色直しを4回

緑⇒オレンジ⇒水色⇒赤

お客様の中には日高市外らこ来れた方々もいらっしゃったので

高句麗の古代装束を初めてご覧になった方々はかなりのインパクトがあったと思う

何より出演のイタリア人バリトン歌手は大喜び!!

着替える度に写真を撮っておられた。

イタリア人は感情表現が豊か。

あるヒーラーさんが2年前、私の前世はイタリアのベローナでオペラ歌手だったことがあるとの

リーディングをして下さったが

なんと、今回のバリトン歌手ヴィクトル・ガルシア・シエラさんは

現在イタリア・ベローナ野外歌劇場の常連歌手。

何だか懐かしく感じた。

日高市から世界に羽ばたいたソプラノ歌手・柳沼裕美さんはイタリア在住で、

この度の帰国に合わせて国内でコンサート活動をしておられる。

コンサートの最後に挨拶をして頂いたが、

「生まれ育った土地で、歌えることは最高に幸せです」と涙ぐんでいた。

楽屋で色々話す中で、気さくな女性と知り、すっかり仲良くなった。

イタリア人のご主人との間に5歳のお嬢さんがいて名前が「ナウシカ」ちゃん

また「ナウシカ・オペラインターナショナル」も設立され

幅広い芸術活動に取り組んでいらっしゃる。

浮世離れした芸術家と思いきや

学生時代は陸上や卓球で体を鍛えていた体育会系の活発で明るい方

たのもしい方で嬉しくなってしまった。

打ち上げの場でスタッフと「花は咲く」を合唱した際、

私が会場にあったピアノで伴奏を弾いたのだが、

楽譜があったわけでもなく、キーの高さも知っていたわけでも無く、

しかも、弾いたことのない曲だったので、

本当に自分の指に任せて鍵盤に手を置くと、勝手に弾いてくれた。

「楽譜もないのに、よくその場で弾けましたね!とても歌いやすい伴奏でした」

と言われて、私自身が驚いた。

私の歌も聴きたいとのお声を頂き、恐れ多くも世界で活躍するオペラ歌手の前で

「ふるさと」の弾き語りをした。

歌はいい。

国境も言語も、時代も超えてしまう。

コンサートの司会をしながら私が一番楽しませて頂いたような気がする。

また今回のコンサートのプロデュースをされた作曲家で柳沼裕美さんの恩師でもあられる

日下部満三さん


ウィーンでピアノを学び、今はピアノコンクール曲の作曲、審査員などをされる方。

こんな素晴しい方々とご縁が持てて自分は恵まれていると思う。


第300回・人間関係とストローク自主研修会

講師の依頼が増えて来て思うのは、一回一回が真剣勝負、完全投入。「一期一会」

二度と会えないかもしれないし、講演会がきっかけで縁が深まるかもしれないし、

とにかく目の前のお客様に、全身全霊で語る。

いつものテーマ「言葉と体と心はリンクする」

今回も体験コーナーを入れ、発する言葉が体にどれだけ影響を与えるのかを体験して頂いた。

また姿勢が精神面にも影響を与えることを伝えさせて頂いた。
また、実体験として4人の子供達がどのようにして「父親の死」を受け入れていったか

私自信がどのように「パートナーの死」を受け止めているのか

今、制作中の映画について等、講話させて頂いた。

お陰様で、持参した著書は完売

サインを入れたり、握手をしたり、精算をしたり、

あたふたとしていると「手伝います。斎藤です」と傍でてきぱきと対応して下さった方がいた。

初めてお会いしたが、FBでは繋がっており、わざわざ名古屋から聴きに来て下さったのだ。

同じ未亡人、お子さん3人。

今回書籍を購入できなかった方々には、後で郵送という形で届けることができた。

今回の講演会がきっかけで沢山の方々とご縁を頂き、

 有り難いことに次の講演依頼も頂いた。


参加者108名

とても有意義な時間となった。

こちらの方は次回の講演会で講師を勤められる宮本晴天さん。

明るい笑顔からは想像も出来ないくらいの、様々な試練を乗り越えて今を生きていらっしゃる。

特にうつ病を克服するまでの体験談には、頭が下がってしまった。



書家としても、素晴しい字を書かれる。

6月29日(日) 13:30~16:00 大井町きゅりあん 

テーマ「私のうつ病克服体験と妻のうつ闘病」


先月、大雪にも関わらず私のライブに何時間もかけてお越し下さった方々が

今回の講演会にもお越し下さった。

名古屋からお越し下さった方も「来た甲斐がありました」と喜んで帰っていかれた。

北原佐和子さん

高校生の頃、ブラウン管の中で輝く北原佐和子さんを見ていた。

今もタレント、女優、として旅番組や、2時間ドラマに出演しているけれど

同時に素晴しい活動をしている。

「プレシャスライフ・心の朗読会」

命の貴さを伝える為に、朗読を通して学校や、企業を回っている。

日高市内の小学校で朗読会が終わった後、大人向けに市内のレストランで開催された。

北原さんは、人気アイドル時代と変わらず、可愛らしいままではあったけれど

朗読の声はとても落ち着いていて、語り調子も穏やかで、

優しい笑顔が印象的だった。

朗読会の内容は、私が映画で伝えようとしている世界と殆どダブっており、

私の頭の中は、北原さんと一緒に出来ることはないかと、検索し続けていた。

朗読会終了後、お話しながら、

二人とも同じ学年であること、ご自身の実家がここ日高市にあること、

その日、訪ねた小学校で食べた給食が高麗鍋だったこと、

色々接点もあり、意気投合して、その後、渋谷で開催された私のライブにも来て下さった。

北原さんは映像に音楽を流し、そこに自分の朗読を乗せて行くスタイル

私も自分の映画の予告編の後、ピアノの弾き語りや詩の朗読、トークといった流れで

講演活動をしていて、テーマは「命」

きっと、お役目が同じで、やり方も同じ、

一緒になることで、より沢山の方々に伝えられるのなら、トライしてみたいと思う。

このタイミングで、この出会いに感謝!!


2014年3月24日月曜日

長男・義務教育終了


あっという間、というより 長かった。

色々あったから。

来月から長男は高校生。

主人のお墓参りに行く途中いつも通っていた高等学校に、縁あって通うこととなった。

主人が亡くなった後、一番ダメージが大きかったのが長男。

10歳の少年の、その小さな胸の奥に、私も立ち入ることの出来ないほどの深い悲しみがあった。

火葬の前日「お父さんを燃やしちゃうの?」としくしく泣いた。

壊れてしまうのでは、と、私も心配したが

遺骨を拾いながら、勝ち誇ったように言った

「ざまぁみろ!ガンも燃えちゃった、これでお父さんもう苦しくないね」

驚いた。何か吹っ切れたんだろう。

亡くなって1ヶ月ほど経って、近所の方が長男に声をかけて下さった

「子供は親を選んで生まれて来る」と。

それがまた一つ彼を強くした。

ある日、思い切って長男に尋ねてみた。

「優太はもう大丈夫?」

すると、視線を外らしながらも彼は言った。

「お母さん、あのさ、子供って親を選んで生まれて来るんだって。

お父さんは早く死んじゃったけど、早く死ぬお父さんを選んだのは僕なんだ

自分でそう決めたんだからしょうがない。

あのお父さんで良かったって思う」と。

あぁ~、大丈夫。こうやって乗り越えて行くんだ。

10歳にして与えられた試練。

だが、それを乗り越えられると信じて、彼自信が自分に課した試練。

それほど彼は強い魂を持っていると、信じたい。

いつでも見方になってあげよう。

名前の如く「優しい太郎」:優太

私が疲れて居間で横になっていると

「こんな所で寝てないで、ベッドで寝たら?」などと声をかけてくれる。

時には黙って布団をかけてくれる。
背が低くいのに、バスケットボール部で3年間、体を鍛えた。

クラスでも一番背が低い。

だけど私は「小さな巨人」と呼ぶ。

彼の優しさは私が一番知っている。

主人が亡くなってから、私がアクセル全開で走り続けてきたから

ゆっくり話し合う時間も取れないまま来てしまった。

色々と相談したいこともあっただろうに・・・

ゴメンネ。

「子は親を選んで生まれて来る」

こんな私を母として選んでくれた。

私の元に生まれて来てくれた。

主人を亡くす私の人生を承知で、寄り添うために生まれてきてくれた。

ありがとう。

卒業おめでとう。

お祝いの言葉


長男の卒業式で、教育委員として祝辞を述べさせて頂いた。

長男の学年は東日本大震災の影響で、計画停電や余震がある中で

中学の入学式を迎えた。

そのことにどうしても触れたかった。

帰る家があること、友がいて普通に学校に通えることの有り難さ、

命があることの尊さ、

それらが当たり前のことではないということを忘れないで欲しいと。

そして3つの言葉を送った

「志」  どんなに小さくても目標を持とう。自分の命を何に使いたいか考えて見て欲しいと

「和」 足りないところは補い合うように出来ている。
     ひとりで味わう達成感より、沢山の人と分かち合う喜びの方が大きい。

「動」 頭であれこれ考えてしまい一歩が出ない時、思い切って行動してみる。
    動けば変わる 動けば出会う、動けば繋がる

そして何より、これから続く自分の人生をしっかり味わってほしいと。

 

ついに卒業


13年間続いた小学性の保護者の立場から、私も卒業。

次男の小学校の卒業式に、来賓として出席した。

壇上で祝辞を述べながら、次男と共に育ってきた150名の卒業生達の成長ぶりを嬉しく思った。


次男は小学2年生で父親を亡くしたが、

とても明るく、前向きに、クラスのムードメーカーとして友達も多く、

素直に育ってくれた。

毎朝、主人は「いってらっしゃい」の後に「気を付けるんだよ」と

言葉を添えて子供達を送り出していた。

今朝、次男に「お父さんがいってらっしゃい!って言ってるよ」と言うと

次男は嬉しそうに「気をつけてね!だってさ」と言った後

「行ってきます」と小学最後の登校へ。

次男の中では未だ、主人は生きているんだなぁ。

梅や、中には桜の蕾も見受けられる、春を感じさせる日に

めでたく卒業。

4人の子供のうち、次男だけがこちらで小学校の入学式を迎えた。

上の3人は引越しと共に途中入学だった。

それでも、みんな同じ小学校の卒業生。

例えば30年後、子供4人で母校を訪ねたりして・・・・

その時に教職員の先生方の名前と顔が一致していると

思い出しながら、盛り上がるだろうなぁ


卒業、おめでとう!!