2013年3月25日月曜日

卒業式

市内の中学校の卒業式に来賓として、祝辞を述べて参りました。
















義務教育最後の日、

生徒たちだけでなく私の4児の母ですから、

親御さんたちの心境も拝察し、

私なりにきちんとお祝いの気持ちをお伝えしたいと思い

着物で出席させて頂きました。

歳を取ると涙もろくなるのでしょうか。

卒業証書授与で、先生方が、噛み締めるように、また声を震わせて

教え子たちの名前を読み上げる姿に思わず目頭が熱くなりました。

生徒たちも、それに応えるかのように、涙をこらえているようで、

その様子から、

きっとこの3年間でいろいろな困難を乗り越えてきたに違いないと感じ取りました。

生徒たちが卒業証書を手に、体育館を退場する時

「行ってきます!」叫びました。

先生たちは目を真っ赤にしながら「行ってらっしゃい」 と。

退場していく生徒たちの後ろ姿を肩を震わせながら見送っていました。

卒業生代表挨拶の中でとても印象に残る言葉がありました。

「私達を信じてくれてありがとうございました。

投げ出すことなく、最後まで諦めず、真剣に向き合ってくれたから

私たちは変わる事が出来ました。忘れません。」 と。

とても立派でした。

大勢の父兄や来賓の前で、堂々と、自分の言葉として語っていました。

私も来賓挨拶は心を込めて申し上げました。

式が終了して、学校の外に出ると

卒業生たちを祝福するかのように、青空がどこまでの広がり、

爽やかな風が校庭を吹き抜けました。



2013年3月16日土曜日

高校卒業

長女の高校卒業式に参加。

歳を取ると涙もろくなるのでしょうか。

彼女を生んでからこれまでの18年間が蘇ってきて・・・

振り返ってみると、いつもそばで私を支えてくれたのはこの娘だった。

「おめでとう」よりも

「ありがとう」の

思いが先に立つ。

生後半年の彼女を

膝の上に置き、

ピアノに向かって

一緒によく歌を歌った。

二人の間にはいつも

音楽があった。

貧しかった時代も

彼女と歌うことで

乗り切れた。


私にとっても、彼女にとっても、ピアノは心の拠り所だった。今もそうだ。

二人ともピアノは習ったこともない。

それでも、彼女は中学3年間、合唱コンクールや

吹奏楽のソロコンクールでピアノ伴奏を担当し

卒業式の最後も伴奏をした。

私もピアノで曲作りをしている。
自宅で主人が

息を引き取った時、

最後に心拍停止を

聴診器で確認したのは

中学生の彼女だった。

主人の体に

泣き崩れる私の背中を、

黙って摩ってくれたのも

彼女だった。



主人亡き後は、

まるで私の第2の夫の如く、

私を支えてくれた。

片親となって、何でも自分で判断しなくてはならない状況にあって

長女は私の良き相談相手だ。

主人そっくりに単刀直入に答えてくれる。

そして、下の3人の妹弟達には父親のように接した。

私がアキレス腱を切って、松葉杖生活をしていた期間、

率先して家事をこなしてくれた。

「お母さん、今日の夕飯は何が食べたい?」と、嬉しそうに聞いてきた。

朝は早く起きて、弟の幼稚園のお弁当を作ってから、学校に出かけた。

まだ小学6年生の頃である。

小さなお母さんに、私はどれくらい助けて貰っただろう。

高校3年間は自分で弁当を作って通った。

朝、一番早く起きて台所に立ち、弁当の支度をし、家族の分まで朝食を用意し

私が起きる頃には、もう出かけていた。

吹奏楽部では部長として、

それまでコンクールに出場したことのなかった吹奏楽部を活気付ける為、

コンクールに向けてリードした。

私が司会、彼女が演奏者、という立場で舞台に立つ機会が何度もあった。

一緒に舞台で演奏したこともある。

告別式では私のピアノ伴奏に合わせ、彼女がフルートで朧月夜を演奏した。

主人の告別式が終って間もなく、悲しみの中で高校受験を迎え、

滑り止めを受けることもなく、塾にも通わず、第一志望校に一次で合格。

彼女の頑張りに私の方が勇気付けられた。

合格通知を主人の遺影に見せてから早3年。

卒業式に、主人の写真を持って参加した。

主人の後を継ぎたいと言ってくれた彼女を、

これから精一杯応援してあげたい。

私を母として選び、私の体に宿り、私と主人の間に娘として誕生してくれた事に

改めて感謝した。

主人の分も「おめでとう」を伝えた。

彼女からは一言「ありがとう」。

これまで我がまま一つ言わず、

何事も自分で考え、自分で選択し、自分で行動してきた。

そうやって彼女は自らを自身で育ててきた。

私は黙って見ていただけ。

よくぞこれまで、無事にまっすぐ育ってくれたと思う。

高校卒業、新たな一歩を踏み出した彼女の前途が幸多かれと祈る。

2013年3月11日月曜日

護国寺

東京の護国寺で

「東日本大震災第三回忌法要」が行われ、参列して参りました。

本殿に入り、ご焼香させて頂いた後

何故だか肋骨左下の内側辺りが痛くなり、少し呼吸が苦しかったのですが

午後2時46分の黙祷が終わると、自然に治まり楽になりました。

護国寺の本殿に入ったのは初めてで、

その立派な建造物にただ感動するのみでした。



こちらの像は、はじめは恐ろしく感じ、目を合わせることもできないくらいでしたが、

不思議なことに法要が終ってもう一度見てみると、

それはそれは穏やかで柔らかな表情に見えました。



また、こちらの観音様は、実際に台湾で起きた嵐の時に現われたお姿らしく

アメリカ人が撮影した写真を模写した絵です。

本当に美しいお顔をされていました。



こちらの不動明王の前に立つと、身動きできなくなるような迫力がありました。

後ろの炎が「命を燃やせ!」と訴えているかの如く、

また見開いた両目が「迷っている暇はない!決断せよ」と叫んでいるかの如く

心に刻まれました。

法要が終わり、本殿を出ると、景色が変わっていました。

というより世界が変わって見えました。

空はこんなにも青かっただろうか。

日輪様はこんなにも輝いていただろうか。

松の枝がまるで龍の如くにうねり、

大都会の真ん中というのに、どこからともなくやってきたメジロの群れが

可憐に咲き始めた桜の花と戯れては その枝を揺らし、


その道の方がおっしゃっていました。

あのメジロは震災で犠牲になった子供達の魂をのせてやってきたんです。

だからカメラには映らないでしょうと。

友人5人ともカメラを向けましたが、やはり写っていませんでした。

枝いっぱいにいたんですが・・・


そして、思い切り深呼吸したくなるくらい、境内の空気は澄み渡り・・・

まるで昇華していくようで。

昨日の異様なまでの強風と空を覆うような粉塵は、3.11で亡くなられた方々の魂が

命日前に現れたのだとも伺いました。

今日の空は真っ青で雲ひとつありませんでした。

黙祷していて、浮かんできた言葉は 「犠牲ではなく貢献」

「犠牲」で終わらせてはいけない、と思いました。

尊い命を掛けて私達に託したものがある。

この国を構成する私達一人一人の意識改革。

一度リセットしなければならない所まで来てしまったのでしょう。

自然に反する方向に暴走していたのは確かなこと。

立ち止まらざるを得ない状況で、誰もがこれまでを振り返るきっかけになった。

絶対に無駄にしてはいけない。

失われた多くの命が報われるかどうかは、生き残った我々の歩みにかかっています。

本当の意味での供養は、これからだと思います。

2013年3月6日水曜日

妖精を呼ぶ本

とても、とても素敵な本に出会いました。

昨年の1月、都内で行われた、作家・中丸薫さんの講演会場で

同じ日高市在住の方と知り合いました。

年が明けて間もなく、中丸さんの話を聞こうと、全国から大勢集まっていた会場で

日高市の方に出会ったこと自体、驚きだったわけですが

比較的近所だったこともあり、その後何度か訪ねて来て下さいました。

70代のその男性は、とてもお元気で、日高市から農地を借りて畑作業をしているらしく

時々、収穫した野菜や花を届けに来てくださいます。

ご自身で酵素ドリンクも作られ、今回、秋に作った酵素ドリンクを分けて頂きました。

人様が時間をかけて作って下さったものは本当に有り難いですね。

この度、その方がお薦めの本があると言って、一冊の本を持ってきて下さいました。

「妖精を呼ぶ本」 著者:姫乃宮亜美 / 出版:サンマーク

手をたたいて喜びました。

あまりにもタイムリーだったからです。

探していたわけではないのですが、今の自分が求めていた内容が書かれてあったのです。

私は鈍感なので、妖精とか、天使とか、精霊とか見えるわけではないのですが、

「見えない」=「存在しない」 とは思っていませんでした。

特に主人が亡くなってから 「見えないだけで実はいる」 という感覚があります。

信じた方が生きやすい と感じます。

無形なるモノ、生き霊とか悪霊とか 呼ばれるものも含めて

存在すると思っていた方が、不都合があった時でも、そこに意義付けしやすくなります。

どんなメッセージがあるのかな・・・と、無形なるものに尋ねてみます。

無形なるものと言えば、植物に宿る妖精や精霊の存在も信じています。

家の中のあちらこちらに植物を置いているのですが、

その一つ一つに名前をつけています。

キャサリン とか すみれちゃん とか マリア とか・・・

水をあげる時、名前を呼びながらニコニコ微笑んで言葉をかけています。

南側に置いてある植物は絶えず小さな紫色の花を咲かせているので

「すみれちゃんは本当に可愛いねぇ~、いつもありがとう」

枕元に置いている観葉植物は、私の無防備な姿を見てきた親友なので

「キャサリン、今夜も私にいい夢を見させてね」

玄関に置いてある植物には

「我が家の入口を浄化してくれてどうもありがとう」

トイレに置いてある植物は、何故かとても勢いよく育っていて

「いつも元気だねぇ、ありがとうねぇ~」

リビング、ダイニング、洗面所、

全ての植物達に、声かけをしています。

そうすることによって、自分の心を潤すことが出来ます。

極々自然にやっていることです。

植物との対話を繰り返すうちに、彼らから受け取ってきたものが確かにあります。

たまに疲れきっていて水やりを忘れてしまっていると

枯れた姿が頭に浮かび「喉が乾いたぁ」という声が響いてきて、

慌てて見に行くと、浮かんだ通りの姿になっていて

「本当にごめんなさい、復活してー!」と祈りながら水をやると

あっという間に葉がピンと張ってきたり・・・・

ペットの動物たちは、走り回ったり鳴いたり吠えたり、顔の表情で訴えたりしてくれますが

植物に対してはこちら側が歩み寄って、言い分を聞いて、察して上げることが大事です。

そのやり取りの中で、思いやりや優しさといった心が育つ気がします。

この「妖精を呼ぶ本」には、どんな風にして妖精達と付き合って行ったらいいのか

妖精達がどこでどのような働きをしているのかなど

詳しく、わかりやすく 記載されており、とても腑に落ちる内容ばかりでした。

妖精界と繋がり、自然界と繋がって行くと

ただの物質だと思っていたひとつまみの土や、ひとしずくの水、一本の花の奥に

もうひとつの命、もうひとつのエネルギーがあることが分かります。

感情とは人間だけのものではないと思います。
.
心を込めて向き合えば交流出来ると実感します。

花が色づく時、香る時、その色の変化や香りの存在に、妖精たちの働きを感じる。

そんな習慣をつけていくと、心が穏やかになり、愛が溢れてくるような気がします。

この本を届けて下さった70代の男性は、

畑に向かって語りかけながら、畑仕事をするそうです。

昨年秋に頂いた菊の花は、随分と長持ちしました。

2013年3月5日火曜日

晩酌で一日を清算

一日を振り返る儀式、晩酌タイム。

私は酒処・秋田で生まれ育ったせいか、やはり日本酒が落ち着きます。

ほとんど冷ですが。

日高市に移り住んでから出会った「高麗王」

日高市内に酒蔵のある長澤酒造さんのお酒です。

とても気に入ってます。
近隣・越生町の酒を見つけ、思わず買ってしまいました。

その日一日を振り返ってみて

良かったことも、残念だったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも

お酒を体に入れることで清算されていくような気がするんです。

お酒が飲めることを有難いと感じながら頂くので、

飲めば飲むほど感謝の思いでいっぱいになります。

あはっ、決してアル中ではありませんからね(#^.^#)


元々亡くなった主人は飲まない人でしたから、

いつも私は一人で飲んでました。

今も、結局一人で飲んでいますが、

大切な人を思い浮かべたり、時にはお月様と乾杯しながら飲んでます。

2013年3月4日月曜日

四方払い

今年10月の 第62回伊勢神宮式年遷宮記念にあたり

その完遂と世界平和を、高麗神社の神主さんと祈って参りました
























俳優・武道家の藤岡弘さんの真剣・四方払いが奉納されるということもあり、

境内には実に多くの参拝客が集まりました。

藤岡さんの鍛えられた体は、そのものが気迫に満ちており、

表情は鋭い中にも優しさを感じさせる、大きさを感じました。

小学生の頃、初代仮面ライダーとして憧れた初恋の人?

正義感が強く、逞しく、勇気に溢れ、情が厚く、何より強い!

絶対に負けない。  ヒーローなんだから当たり前ですけどね・・・

いつか会えると信じていたあの頃の自分を思い出しました。

もう60歳を超えるおじさんですが、実物はやっぱり素敵でした。

邪念、邪気、邪心をぶった切るような、潔さや勢い、そして清さを感じました。

演舞の奉納が終わると、私自身の中もスッキリするような感覚があり、

神社全体の空気も浄化されたような、空気がより一層清まった感じがしました。

新しい時代、地球の次元上昇と言われる時代、

古いものは持っている必要はないと言われたような気がします。

何だかよくわからないのですが、

身辺整理しなくては・・・と思わされました。

























藤岡さんは挨拶の中で、高麗神社をパワースポットと実感できたとのこと

聖なる場で、演武を奉納出来たことを誇りに思うと、

また、これからは様々な民族、国境、価値観、宗教、イデオロギーを超えて

調和の時代となる、

その際、先祖代々の愛や犠牲を忘れることなく、謙虚な心をもって

全ての 出会いを感謝して生きて行きましょう!と挨拶されました。

真っ直ぐな人なんだぁ~と感じました。

2013年3月1日金曜日

お手製の御守り

お守りの作り方を友人から伝授、

まずはあずきと米と塩を用意します。

それらに向かって般若心経を唱えます。

半紙にその3種類を包み、家の四隅や、車の中、また持ち歩いてもよろしいとのこと。

お守りは持っているから守られるのではなく

お守りを持たせて頂けることを有り難いと思う感謝の心が

邪気を寄せ付けないのではないかと思います。

渡来センター

日高市に面白いお店がオープン。

日韓コラボレーションレストラン。

お店の中は韓国の香りがいっぱい。

民族衣装や、韓国の家具、伝統品が展示されています。

ここは日高市まちかど観光案内案内所としての機能もあり

高麗郡建郡1300年記念品の販売や、高麗の里の土産品の展示、案内がされています。

私の書籍「自分磨きは姿勢から」や私の体操スタジオのチラシも置かせて頂いてます。



お店の2階ではハングル講座も(ミニケーキと伝統茶付き)500円で開催中。

ご当地グルメ 「高麗鍋定食」 故郷料理10品 1080円

宴会用に3パターンのコースや、お弁当や、出張パーティーも承ります。

もちろん自家製のキムチもあります。

日曜、祭日は地産品のテント村も開催しています。

営業時間 11:00~21:00

定休日 第1月曜日 第3火曜日

元々この店はイタリアンレストランだったそうで、当時はライブハウスとしても

賑わっていたとか。

確かにステージの跡があったり、ミキサールームがあったり、

店長に ライブ会場として利用してくださいと声を掛けて頂きました。

年内にやりたいと思います。

大松閣で

飯能市名栗にある老舗旅館「大松閣」で

夫婦ユニットFUFUのコンサートがあり、聴きに行ってきました。

この旅館の女将修行中の由香ちゃんが友情出演とのことでお誘いがありました。

FUFUのピアノ伴奏は藤本ゲンさん

歌は舞台女優の日野原希美さん

夫婦別々での活躍もされているので、それぞれの舞台を見たことは何度かありましたが

今回初めて夫婦揃ってのステージを観ました。

流石に夫婦、息がぴったりで、愛に溢れ、とても素敵でした。

私は基本、自分のライブは一人でピアノの弾き語りですが、

私も愛する人の伴奏で歌ってみたいものだと思いました。

途中、お客様からのお題を頂き、即興で歌を歌うというコーナーがあり

「おでん」とか「猫の夫婦」とかのリクエストに

まるでずっと前から準備いてきたのではないかと思うくらいに

見事に答えられ、驚いてしまいました。

またサプライズで、会場にその日が誕生日のお客様がいて

ハッピーバースデーソングをプレゼント。

コンサート終了後、親しい仲間達が残って、更に誕生日祝いをしました。

バースデーソングとケーキ、そして頭を丸ごと使ってのプレゼントもあり

盛り上がりました。

大松閣の若旦那と若女将とは私の以前からの友人ということもあり

来月、結婚披露宴の司会を務めることになっています。

さすがに老舗旅館、フロントに飾ってある雛人形は豪華絢爛では気力がありました。

交通安全指導

この4月に小学校に入学する子供と保護者に向けて

交通安全指導の講習会を主催しました。

初めて我が子を小学校に入れる親は、何かと心配だろうと思います。

なんせ、ランドセルの方が大きいくらいに見える小さな小さな体で

長い距離を歩いて通うわけですから。

私もいつの間にか小学生の親暦、12年。

4人もいると子供は次々に卒業していくのだけれど、

私はいつまでも小学生の保護者で、いつもPTA役員。

指導員さん達のお話を真剣に聴く幼稚園児達。

小学生になる準備が出来ていそうだなと思いました。

通学路の途中にある危険箇所を確認したり、信号場所での交通指導をする為

外に出て実地練習。

朝は何かとドライバーの皆さんは、焦っているのか

物凄いスピードで交差点に突っ込んできたり、ひやっとすることがあります。

歩行者がどんなに気をつけていても、守りきれない命。

保護者が毎朝、大きな黄色の目立つ旗をかざしながら、ローテーションで

交差点に立って子供達の安全を見守ることになっています。

指導員さんの言葉が残っています。

「児童達が横断歩道を渡り終えるのを待っているドライバーさん達が

イライラしないように、お母さん達は満面の笑みを振りまきましょうねぇ!」

そして 

朝はまずもって元気に、明るく、笑顔で

「おはよう、気をつけてね、いってらっしゃい!」

気持ちのいい挨拶を積極的に。