2013年3月16日土曜日

高校卒業

長女の高校卒業式に参加。

歳を取ると涙もろくなるのでしょうか。

彼女を生んでからこれまでの18年間が蘇ってきて・・・

振り返ってみると、いつもそばで私を支えてくれたのはこの娘だった。

「おめでとう」よりも

「ありがとう」の

思いが先に立つ。

生後半年の彼女を

膝の上に置き、

ピアノに向かって

一緒によく歌を歌った。

二人の間にはいつも

音楽があった。

貧しかった時代も

彼女と歌うことで

乗り切れた。


私にとっても、彼女にとっても、ピアノは心の拠り所だった。今もそうだ。

二人ともピアノは習ったこともない。

それでも、彼女は中学3年間、合唱コンクールや

吹奏楽のソロコンクールでピアノ伴奏を担当し

卒業式の最後も伴奏をした。

私もピアノで曲作りをしている。
自宅で主人が

息を引き取った時、

最後に心拍停止を

聴診器で確認したのは

中学生の彼女だった。

主人の体に

泣き崩れる私の背中を、

黙って摩ってくれたのも

彼女だった。



主人亡き後は、

まるで私の第2の夫の如く、

私を支えてくれた。

片親となって、何でも自分で判断しなくてはならない状況にあって

長女は私の良き相談相手だ。

主人そっくりに単刀直入に答えてくれる。

そして、下の3人の妹弟達には父親のように接した。

私がアキレス腱を切って、松葉杖生活をしていた期間、

率先して家事をこなしてくれた。

「お母さん、今日の夕飯は何が食べたい?」と、嬉しそうに聞いてきた。

朝は早く起きて、弟の幼稚園のお弁当を作ってから、学校に出かけた。

まだ小学6年生の頃である。

小さなお母さんに、私はどれくらい助けて貰っただろう。

高校3年間は自分で弁当を作って通った。

朝、一番早く起きて台所に立ち、弁当の支度をし、家族の分まで朝食を用意し

私が起きる頃には、もう出かけていた。

吹奏楽部では部長として、

それまでコンクールに出場したことのなかった吹奏楽部を活気付ける為、

コンクールに向けてリードした。

私が司会、彼女が演奏者、という立場で舞台に立つ機会が何度もあった。

一緒に舞台で演奏したこともある。

告別式では私のピアノ伴奏に合わせ、彼女がフルートで朧月夜を演奏した。

主人の告別式が終って間もなく、悲しみの中で高校受験を迎え、

滑り止めを受けることもなく、塾にも通わず、第一志望校に一次で合格。

彼女の頑張りに私の方が勇気付けられた。

合格通知を主人の遺影に見せてから早3年。

卒業式に、主人の写真を持って参加した。

主人の後を継ぎたいと言ってくれた彼女を、

これから精一杯応援してあげたい。

私を母として選び、私の体に宿り、私と主人の間に娘として誕生してくれた事に

改めて感謝した。

主人の分も「おめでとう」を伝えた。

彼女からは一言「ありがとう」。

これまで我がまま一つ言わず、

何事も自分で考え、自分で選択し、自分で行動してきた。

そうやって彼女は自らを自身で育ててきた。

私は黙って見ていただけ。

よくぞこれまで、無事にまっすぐ育ってくれたと思う。

高校卒業、新たな一歩を踏み出した彼女の前途が幸多かれと祈る。