2012年1月31日火曜日

No27・船瀬俊介氏とてんつくマンの再会

昨年の2月、東京都中野区で開催された日本医療改革ミーティングの会場に

7人のゲストが集まりました。

てんつくマンが呼びかけ人となり、集まったゲストの中の一人が

「買ってはいけない」でベストセラーとなったジャーナリストの船瀬俊介氏です。

私はその時、てんつくマンと船瀬俊介氏のやり取りを見ていて

この二人がスクラムを組んだなら、日本の医療体制が変わるかも知れないと

ピンと来るものがありました。

当時、てんつくマンは3本目の映画を製作中でした。

内容は末期がんを宣告された人を生還させる為のドキュメンタリーです

その後、震災があり、医療体制よりも原発の問題にまずは目を向けなければならなくなって

お互い自分スタイルで世の中に働きかけて来ましたが、

今回、二人の再会が叶いました。

船瀬先生は飯能市在住ですから、何とか今回のてんつく講演会に来て頂きたいと思っていました。

するとぎりぎり前日になって、船瀬先生に連絡が付き会場に来ていただける事になったんです。

私がイメージした通りになりました。

思いは叶うものですね。

開演前に船瀬先生が楽屋を訪ねて下さいました。
 
お二人とも再会を喜んでました。

船瀬先生は放射線被爆についての話を始めると、もう止まらず

語りたくて語りたくてたまらないと言ったご様子。

最新で、とても興味深い内容でしたので

私はつい“先生の講師料は如何ほどですか?”と尋ねてしまいました。

実は、船瀬先生の本を読む度に、いつか講演会をお願いできないものかと

考えていました。

例え、小規模でも、真実を伝えて行かなくては・・・と思って来ました。

バックナンバー 2011年 8月号No25


真実を語ろうとすると、命を狙われてしまう

思わず “先生、よく、生きていらっしゃいますね”と言ってしまいました。

本を出版する度に、敵を作っているようなものですから。

それでも、あまりに語っている内容が的を付いているものだから、

誰も覆すことが出来ない。
























命を狙った者の方が逆に怪しまれるくらいの内容です。

信じられないような話ですが、なぜか、心が納得してしまう。頭ではなく。

本能的に、正しいと感じてしまう。

主人の闘病生活を支えてきた私の直感でしょうか?

だから私は健康診断は2年前から受けていません。

インフルエンザの予防接種もしたことが有りません。

【バックナンバー:2011年10月号No6】

抗がん剤を薦められた時、主人はきっぱりと断りました。

断っただけでなく、

“現代の医療体制の中でしか患者に向き合う事が出来ないドクターが気の毒です”

と担当医に告げて、診察室を出ました。

主人が、薬ではなく、食品で改善する!と

立ち上げた『日本サプリメント臨床研究会』は、乳酸菌や、高麗人参などの漢方で
健康へのアプローチをするNPO法人です。

人間が持って生まれた自然治癒力をいかに引き出すかがテーマです。

この度、船瀬先生にも言われました。

“ 薬より、サプリメントの方がよっぽどいい!”


船瀬先生が楽屋を去った後、てんつくマンが呟きました。

“ 船瀬さんは貫いてんなぁ、さすがやなぁ~ ”

船瀬先生は全国レベルで講演会をされていたり

執筆活動で日々忙しく、次から次と本を出版されていらっしゃるのに

何と自治会長を務めており、

“悪いけど、今日はこれから地元のパトロールが有るんで失礼するよ” と

嵐の如くやってきて、嵐の如くに去って行きました。

ご立派ですよね。

きちんと自分の町に関わっておられるのですから。

今度、船瀬先生のエコハウスを取材させて頂くことになりました。

今回の講演会がてんつくマンと船瀬俊介氏の再会のきっかけとなってよかったです。

また、このお二人が共に動き出したら、流れが変わるような気がしてなりません。

2012年1月30日月曜日

No26・大成功

1月29日

人生の中で一番充実した一日だったかもしれません。

会場はほぼ満席。

奥むさし駅伝終了後、送れて到着した方々もいらしたので

最終的には満席となりました。

爆笑、すすり泣き、頷き、驚き、・・・・

会場のお客様一人一人の反応に、舞台袖の私の方が感動しっはなしでした。

終演後のロビーでどれだけの人に“ありがとう”と言われたかしれません。

いったい何人の人と握手を交わしたか知れません

その人達の手の温もりが、ずっと残っています。

早速、朝からお礼のメールがたくさん届いています。

この瞬間の為の準備期間だったのだと思います。

そして当日は30人近いスタッフが集まって下さいました。

“何か手伝わせて下さい”と、主体的に集まって下さった方々です。

懸命に動いて下さいました。

開場前にスタッフがステージに集合し、てんつくマンを交えて出発式を行いました。

そこでてんつくマンの誘導で、お客様を迎え入れるイメージングをしました。

“どんな表情をした人がやってくる?”

“その人に何て言葉を掛けてあげる?”

“どんな思いを抱えてやってくると思う?”

“お客様にどんな顔で、どんな声で、いらっしゃいませって伝える?”

てんつくマンがいろいろな問いかけをしてくる度に

スタッフは目を閉じて、それぞれ想像してみました。

そしてスタッフの気持ちが一つになった時

てんつくマンが会場に『ヤングマン』の曲を流したんです。

“YMCA,YMCA,若いうちはやりたいことぉ~何でもできるのさぁ~”

“素晴らしいYMCA,YMCA,憂鬱など吹き飛ばして君も元気出せよ!”

舞台上でみんなが踊り出し、溢れんばかりの笑顔になり

あちらこちらでハイタッチ!


この時お客様を迎え入れる準備が出来上がりました。

私も主催者として“300名の、300の命、300命に光を届けましょう!”と

挨拶させて頂きました。

私の思いを受け取って下さったスタッフに心から感謝致します。

裏方に徹して下さったスタッフの皆さんのお陰で

私はてんつくマンとステージを完成させることに集中出来ました。

楽屋で40分近く、打ち合わせをしました。

なぜ主催しようと思ったか?

主催者として、お客様に何を感じ取って貰いたいか?

今日を迎えるまで、どんな奇跡があったか?

どんな学びや発見があったか?

これまでのてんつくマンの講演会や書籍や映画から、語って欲しい話はあるか?

そしてイメージング。

てんつくマンの問いかけ

“講演会三日後に、三人の参加者から連絡がありました。

それぞれ何と言ってますか?何と言って貰えたら嬉しい?”

“色々あったけど、全ては今日の日を迎える為の準備期間だったと思う。
答えを見つけられたから、良かった。呼んでくれてありがとう!”

“次は、僕が(私が)主催します!”

“自分が好きになりました”

二人でたっぷり話し合いました。

というより、聞いて貰った感じです。

実際、私が伝えて欲しいと言った内容は、2時間の講演の中で全て話してくれました。

ノンストップ、あっという間の2時間でした。

小学生、中学生、高校生も、真剣にというか、夢中になって聞いてくれました。

最後の巨大書下ろしについての報告はまた後日。

2012年1月28日土曜日

No25・いよいよ

昨日からブログには収まり切れないほどの奇跡が続いています。

てんつくマンの 

「素敵なことは大体,あとの方にやってくる」という言葉を体感しています。

ドラマの感動シーンを目の前で見せられている感じ。

ミラクルにわくわくしっぱなし

本番ぎりぎりになって、驚くような出来事が起きています。

やれるだけの事はやり尽くしました。

『人事尽くして天命を待つ』

そんな心境です。

明日、答えを求めに会場にやってくる人達の その一歩を

心から歓迎したいです。


私が呼んだのではなく、供えられた人達が、供えられた席に着く

求めた人達の主体的な行動に万歳!!

私はきっかけを提供しただけ。

それに応えた方々にお会いできるのが楽しみです。

亡くなった主人も、明日は会場に来てくれる事でしょう。

なんと、昨日、車の修理が完了し、3週間ぶりに主人の車が返って来ました。

本番に間に合いました。

一緒に会場に行けます。

今朝から激励の電話やメールがバンバン届いています。

まだお会いしたこともない方もいらっしゃいます。

私のブログを見て、初めて連絡を下さった方もいらっしゃいます。

今 “ありがとう” の言葉で私の体は溢れ返っています。

明日は満席になりそうです。

明日の会場、飯能市民会館小ホール、300席

300名の300命に、光が届きますように。

2012年1月26日木曜日

No23・あと2日

てんつくマンの講演会まであと2日

メールでお申込み頂いた方々には“ このご縁に感謝いたします ”と

返信しています。

昨日、都内でてんつくマンに会って来ました。

彼の話を聴いていて思うのは、本当に一人一人の平和と幸福を願っているのだという事

世の中を作っている最少単位の一人一人が、まずは平和である事

心が平安である事

幸福感を持った人間が集まって出来る社会に、諍いや、争い事は必要無いでしょう。

てんつくマンは言いました。

“僕の言葉を丸ごと受け入れたらあかんでぇ!

良いとこ取りでええんやからな、掻い摘んで受け止めたらええんや”と。

彼は提案はするけれど、それを鵜呑みにしてはいけないと言います。

自分なりにちゃんと考えて自分で答えを探すように促します。

そして、宗教を持つなら、最低三つは必要だとも言います。

一つの教えに拘っていると、偏ってしまうと。

~ねばならないとか、~あるべきだとか ~を信じさえすれば良いとか 

人を尊敬するのはいいですが、教祖を神格化して、崇拝するのには

少し抵抗が有ります。

同じ人間なのになぁ~と引いてしまいます。

自分を縛りつけているのが、案外 自分で作ってしまった「常識」だったりするんですよね

過去の経験がデータとして残ってしまっているから

そこからしか判断できなくなってしまう。

また自分で判断するのがしんどいから、誰かの言葉をそのまま信じてしまう。

でも、未来から、今の自分を見つめる様に心掛けると

過去に捕われていた自分が、気の毒に思えて来ます。

過去を超えて行かなくてはならないのに、過去が自分を縛りつけてしまっている

過去~だったから、きっとこれからも~だろうと

勝手に決めつけてしまう。予測してしまう。思い込んでしまう。

将来は~して見せる。その為にはどうすればいいか・・・

未来の自分の言葉を聞くようにする。

これが、思いの他、大事です。

自分自身で舵取りをしていくべきですよね。

てんつくマンは言います。

答えは無限だと。

誰かに決められるものではないと思います。

誰かがヒントをくれるかも知れませんが、結論は自分で出さなくてはならない。

自分で出していいんです。

てんつくマンの人間愛に、頭が下がります。





































私が気をつけなくてはならないのが、自分のルールを子供達に押し付けないようにする事。

自分の考えを押しつけてはいけないですよね。

自分の価値観が必ずしも正しいとは言えませんから・・・

自分でよく考えて、自分で判断出来るように導いてあげるべきなんですよね。

てんつくマンの講演は自分の殻を破るいいきっかけになる事でしょう。

2012年1月25日水曜日

No22・街コン

街コン

2004年の宇都宮の「宮コン」を先駆けに、中心市街地の活性化として

商工会や住民有志による取組みとして広まった手作りイベント

昨夏ごろから都内でも急増しているようです。

“職場が女性ばかりで出会いがない”とか

“日々忙しすぎて、相手を探すきっかけも無い”とか

私の秋田の実家周辺にも、独身の同窓生が結構います。

実は私の弟も独身です。少し前に40歳になりました。

人生のパートナーがいるって有難い事なんだと思いますが・・・

最近は独身の方が気が楽!とか

嫌になれば、別れればいい・・とか

結婚は墓場だ とか

結婚生活に魅力を感じられないようで。

人それぞれの考え方があっていいとは思いますが

やはり私は人生のパートナーを持つべきだと思います。

それは「結婚」という形に拘らなくてもいいのかも知れませんが

それでも寄り添う人がいた方が幸せだと思います。

もちろん不倫は反対です。

それと結婚しても子供を産まない夫婦もいらっしゃいますよね。

抱えた事情や考え方がそれぞれ違う分けで、一概には言えませんが

私個人としては、産める体であれば是非生んで子育てを経験して頂きたいと思います。

子供を育てるのは決して簡単な事ではありません。

経済的にも、肉体的にも、精神的にも

でも、子育ては自分育てですから。

子供と共に生きる事で、人生が豊かになります。

「家庭」という社会がベースとなって、「地域」という社会が形成され

「地域社会」がベースとなって、「国」があるわけで

今の殺伐とした時代は、大本となる「家庭」が崩れているから

そこをきちんとつくり直さなくては、政策や政治家の顔ぶれを変えても

平和な世の中にはならないでしょう。本当にそう感じます。

「家庭」を出発する前の段階で、健全な出会いの場が有ったらいいのに・・・と

思っていました。

出逢いもご縁ですから。

そこで、私もほんの少しだけお手伝いさせて頂くことになりました。

1月28日(土) 飯能駅ビル、ヘリテイジ飯能(元プリンスホテル)で

出逢いの場を提供するパーティが有ります。

私はそのパーティにゲスト出演します。

「愛」や「結婚」や「子育て」、「人生」をテーマにしたオリジナル曲を

30分ほど歌う事になりました。

亡き主人との17年間の結婚生活についても触れながら、

肩を並べて生きる事の意義深さを伝えたいと思います。

詳細は『ヘリテイジ飯能』のイベントで検索下さい

Tel:042-975-1313

2012年1月23日月曜日

No21・親切の蓄積

まだまだ出会いは続いていきます。

てんつくマン講演会・巨大書下ろし用の大きな紙を求めて、画材屋さんに行きました。

            飯能市の美楽堂です。

初めて入りました。

そこの御主人が優しい方で、紙を必要とする訳を伝えますと

色々とアドバイスを下さり、その上

“チラシでもあったら店に貼っておくよ”と。

てんつくマンのチラシをお見せしながら告知しますと、

とても感心して下さいました。

画材屋さんだけあって、絵やデザインのセンスに敏感で

しばらくチラシに見入っていらっしゃいました。

開催日を、「1月29日」と記載せず、「1.29」と記載した訳

. 2 9 =てん ツー ク →てんつく 

1.29→1番はてんつく

1月29日はてんつくの日なんです。と申しますと

“なるほどねぇ、それじゃー、ちゃんと かなをふらなきゃ・・・”と

チラシの開催日の上にボールペンで「てんつく」と書いて下さいました。

そして更に1割安くして下さいました。

こんな瞬間の優しさや、親切、心遣いに出会いながら、

それらが確実に私の中に蓄積されています。

この素敵なお店に車を出して、案内してくれたKさん。

車を運転する機会がほとんど無かったKさんは、

私の事故後、ずっと運転して下さっています。

それはそれは、勇気の要る事だったと思います。

でも“ 私、あっしースタントですからぁ、”

なんてダジャレまで言えるくらい余裕が出て来ました。

正直、2週間前当初は助手席に居ながら、ずいぶん、はらはらさせられました。

2年前、教習生だった私が、自分もまだ新米のくせに

まるで自動車教習所の教官の如く、

Kさんの隣で、偉そうにアドバイスしているんですから・・・

でも日に日に運転さばきが上手になり、その都度私が拍手をすると

とてもとても、嬉しそうにしています。

自信を取り戻しています。

顔の表情も明るく、言葉もはきはきと歯切れがよく、アクティブで。

今では“私、長年引きこもりだったんです”と、あっけらかんと言ってのけるんです。

私以上にてんつくマン講演会に責任を持とうとしているような感じです。

“今日空いてます。何か手伝えることはありませんか?”と

自ら連絡を下さいます。

Kさん経由での申込者数も増えてきています。

昨日、Kさんの車で美杉台公民館に向かう途中、道に迷ってしまい

住宅街で、ある男性に道を尋ねると、とても丁寧に教えて下さいました。

そこで てんつくマン講演会チラシを手渡し、

“これをお置きに行くところだったんです”と、話しますと関心をもって下さり

“凄いですねぇ、面白そうですね。これも何かのご縁でしょうから”と。

来て頂けそうでしたので、お名前を伺いました。

お陰様で、無事に美杉台公民館に到着しチラシを置いて来ました。

kさんが言うんです。

“今の方に出会う為に道に迷ったんじゃなぁーい?”と。

この前向きな捉え方も良いですよね。

富士見公民館に行きますと、一番人目につく場所を教えて下さり

“もっと早く来なくちゃ、あと1週間だろ?”と、職員さんに言われました。

いろいろな所で“頑張ってね”という言葉を頂きます。

誰かを応援するって、健全な行為ですよね。

競争社会で、蹴落としが当たり前だった時代から

何か変わってきているような気がします。

特に昨年は東日本大震災で多くの犠牲者が出ましたし、

支え合う事の大切さやを学びました。

東電など、ひとつの企業だけが儲かる仕組みに疑問を持った方も多い事でしょう

町を元気にしたいと思って始めた今回の企画。

てんつくマンの力を借りてそれをしようと思った私の気持ちが

飯能市内に沁み込んでいくような感覚が有ります。

飯能市内のあちらこちらで、てんつくマンの手作りポスターを見かける度に

そう思います。

被災地に負けないくらい、私達も自分たちの暮らす地域を復興させなくてはならないと思います。

復興とは、一人一人の心の復興です。

政治家の顔ぶれが変わっても、政策が変わっても、

国民一人一人の意識改革がなされないと、全く無意味だと思います。

本気の人達が百人で一歩を踏み出したら、大きな変化が起きるでしょう。

一人の百歩より、百人の一歩から

百人がスクラムを組んだら、その何倍もの力に発展すると思います。

1月29日に向かっては走り続けて来ましたが

今、思うのは、そのあとの事。

その日、会場で感じ取った何かを、お客様達が、その後どのように形にしていくか

1月30日からが本番かも知れません。

2012年1月22日日曜日

No20・仲間の力

思いは伝わるんですね・・・

私のブログを読んで、心動いた方々が次々に行動を起こして下さって

そんなみなさんの一歩が、更に他の誰かの一歩のきっかけとなり

「和と輪」という、私のコンセプトが形になって行くのを見せて頂いています。

“動けば変わる”

“動いて変える”

“動いて良かった”

この流れを感じています。

“動けば出逢う”

“動けば繋がる”

ノンストップで動き回る私を見て、ある方が言いました。

『シャーク・ヒロコ』と。

サメは一定速度で泳ぎ続けないと沈んでしまったり、窒息してしまう事から

私はサメの様だと・・・

確かに所属団体が多すぎて、一日に会議が3つも入ったりします。

その他に

司会業、作曲活動、体操講師、会社の代表理事、、PTA役員、そして四児の母

その上、自主上映会や講演会を主催している分けですから

オーバーワークかも知れません。

今のところ有難い事に、体は付いて来てくれています。

てんつくマンが言うように、体に話しかけているからでしょうか

“右手さん、左手さん、右足さん、左足さん、大腸さんに小腸さん、”

と、体のあちらこちらを触りながら

“ほんまにありがとう、よう頑張ってくれはるなぁ~愛しとるでぇ” と

機能することに感謝してます

“頂戴した体は有効に使わなぁ~、今日もよろしゅう!” と。

語りかけてます。

でも一番は、わくわく感が途絶えない事。

やらされた事ではなく、たりたくてたまらない事にエネルギーを使っているから

ちっとも疲れないんです。


昨日は二つの会合に参加したのですが

その場でもてんつくマン講演会の告知をしました。

そこで申込みが3人。

私のブログを知人に紹介されて、初めて読んだ方が、すぐに行動を起こして下さいました。

笑顔詩人のテツさんです。

昨夜は池袋にある大嶋啓介さん関連のお店に行って

チラシを配って下さったそうで、その場で4名の方が申し込んで下さったとの事

テツさんのブログを是非、観て下さい。

いいえ、必ず見て下さい。今すぐ見て下さい

そこできっと心が動く事でしょう

=====「笑顔詩人テツ」で検索出来ます=============


そして、先月の上映会で知り合ったばかりのKさんが動いて動いて動きまくって

なんと朝日新聞の折り込みチラシに無料で入れて貰えるようになったとの報告

Kさんは長いこと、引きこもりだったというのです。

とても信じられません。

私が自主上映会を主催しなかったら、出会えなかった方です。

あの映画でスイッチが入った様で、

今、とても活き活きと手伝って下さっています。

駅の改札口でチラシ配りをしてしまうほど、自信に満ちています。


てんつくマンに時々現状報告を入れているのですが

“29日が楽しみやねえぇ~”と言ってます。

何とか、満席にして迎えたい!!

昨日のてんつくマンのメルマガに

『 素敵な事は大体最後の方に起こる 』がテーマでした。

29日当日、最後の最後まで何が起きるか分かりません。

まだ席は半分です。

皆様、この一年を再出発するきっかけに、てんつくマン講演会にお越しください。

2012年1月21日土曜日

No19・残り一週間

てんつくマンの講演会まで残り一週間

1月29日の為に、半年間走り続けて来ました。

この日に向かって準備を進めて来る中で、いったいどれだけの人に出会った事でしょう

そこからどれだけの学びを得た事でしょう。

初めて、てんつくマンの講演会に参加した時

“私は客席にいる場合じゃない!”と血が騒ぎました。

“主催者になって、この人と、一緒に舞台に立つべきだ!”と、体が反応してしまったんです。

そして、帰り道 “ もう一度、この人を日高に呼んでみせる!”と決心しました。

それから、てんつくマンと連絡を取り合ったり、他地域での講演会のスタッフをしたりするようになり、

結局、あの日の決意から一年も経たないうちに、講演会の日程が決まりました。

もちろん、悩みました。全国を講演で飛び回っているような大物を私が呼べるだろうか・・・

組織を持っている分けでもないし、これまで体操講師の依頼を受ける事はありましたが、

私自身が講演会を主催した経験はありません。

でも、私自身が問いかけて来るんです。

“出来るか出来ないか じゃなく やるかやらないか でしょ?”と・・・

そして

“動けば変わる!”という言葉が背中を押すのです。

そして実際に日程が決まると、もう、やるしかないわけです。

後戻りはできない状態に自分を追い込んで、前だけを見つめて来ました。

四人の子供達には申し訳なかったと思います。

ほったらかし状態。

私が尊敬するある80代の女性の方に言われました。

“亡くなったご主人が喜んでいると思うの?”と

え・・・?

“子供達がかわいそうじゃない?まずはご主人が残して逝ってくれたお子さん達をしっかり育てる事の方があなたの務めじゃないかしら?”と。

・・・

その問いかけが、結果的に私の動機を振り返るきっかけとなりました。

“今しか出来ないと思うんです。子育てが終わってから・・、とその時を待っているより

今のキモチに正直でありたいんです。

まず私自身がてんつくマンによって解放された。

だから自分で自分を抑圧している人達を一刻も早く解放したいと思った。

てんつくマンのメルマガを読んでいる人たちの志の高さに惹かれた。

更に引き寄せの力によって、出逢う者同士が、互いを高め合っている。

実際にてんつくマンの活動が、物凄い勢いで国内中に広まっている。

良い結果を残しながら、それが目に見える形で影響を与えている。

この人に関わりたい

私が生き生きと 明るく生きる事が、亡き主人にしてあげられる一番の供養ではなかろうか

子供と向き合う時間の長さではなく、私の生きざまを示す事で

【バックナンバー:2011,12月号・No13】

子供達への愛情を伝えて行きたい

そう確認しました。そして、ゆっくり、静かに伝えました

“私にしか出来ない事があると思います”と

人生の大先輩に向かって偉そうな事を言いました。

すると、納得したように

"きっと人にはお役目があるんでしょう・・・。

講演会を主催したいなんて、普通の主婦は思わないもの。思ったところでやれないもの

それをしたいって思ったってことは、そういう役目があるんだわね。

お役目ならしょうがないわね・・”と微笑んで下さいました。

有難かったです。本当に。

私をアホと認定して下さった方もいます。

“アホっちゅうもんは、こういう人を言います。このアホの本気を見てやってください!”と

ご本人のブログで紹介して下さいました。

それを見て、てんつくマン講演会の申し込みをして下さった方もいらっしゃいます。

チラシを手渡す度に、希望の種を蒔いているような感覚です。

いつ実るか分かりませんが・・・


まだまだ、会場席に余裕がございます。

てんつくマンンに会いに来て下さい

てんつくマンに愛に来てください。

申し込んで下さった皆さん、よろしかったらPRマンになって動員のご協力お願い致します。

2012年1月20日金曜日

No18・初雪

1月20日、午前0時過ぎ

霙雪の降る音に気が付いた

雪国、秋田で生まれ育った私にとって雪は珍しいものではないのだが・・・

思うのは、被災された東北の方々の暮らし。

大切な身内を失って、心が冷え込んでしまいそうな中、

この寒さで心身ともに凍り付いてしまわないよう

特に震災孤児達を抱きしめに行ってあげたい。

寒い時は、寄り添うのが一番いい

スキンシップは心まで温めてくれるから

今朝は、登校前の小4の次男を思い切り抱きしめて、背中を摩ってあげた。

学校に到着するまで 私の温もりが持続するように。

そして私自身、今日も一日乗り切れるように。

彼には人を癒す力があり、私が背中を摩ってやると

同じように、彼も私の背中を小さな手で一生懸命摩ってくれるのである。

彼はそれを「お母さんタイム」と呼んでいる。

てんつくマンを通して知り合った者同士は、男女関係なく抱擁し合って挨拶をする。

日本ではあまり馴染みのない挨拶の仕方だが

信頼の証しでもあり、相手を愛おしく思う素直な表現であり、距離感を縮めてくれる。

雪降る、こんな寒い日は大切な人を抱きしめてみては如何だろうか。

2012年1月18日水曜日

No17・駿河台大学

1月18日(水)

駿河台大学の小澤伸光副学長のご協力で、授業の後半を頂いて

てんつくマン講演会の告知をさせて頂きました。

加えて、当日のボランティアスタッフを募集しました。

昨日はロータリークラブで50~60代の先輩方の前で講話をさせて頂きましたが

今日は20歳前後の若者の前で、語らせてもらいました。

これから未来を担う若者達が、てんつくマン講演会のチラシを真剣に見てくれただけでも嬉しいと思いました。

そして有難い事に小澤教授自ら、

“こういう内容を見たり、聴いたりすることも大事だけれど、関わる事も大事です。

そういう経験が、社会に出た時に生かされるからね”とコメントを下さいました。



2年前、てんつくマンの講演会を主催した、飯能青年会議所の当時の理事長、大津さん

大津さんの協力があって、私はここまで進んでくることが出来ました。

一度てんつくマンを呼んでいるという事で、色々と教えて頂いています。

先月の自主上映会でもたいへんお世話になりました。

この度の駿河台大学でのPRも、大津さんの一声で実現しました。


また大津さんが経営する学習塾の、鈴木先生も駿河台の卒業生として、一緒にPRの協力をして下さいました。

昼時でしたので、学食で昼食を取っていましたら、先ほど、教室で見かけた学生二人が

近づいて来て、“ボランティアってどういう事をすればいいんですか?”と尋ねるではありませんか?!

礼儀正しい学生達でした。

“偉いっ!!よくぞ、その一歩を踏み出してくれた。君たちの将来は決まったようなもんだ!”と大津さん。

“やれなかった事はしょうがない、でも、やらなかった事はしょうがなくない、だよ!”と私。

今日はあの二人に出会う為に出かけたのかも知れません。

学生課に行くと、大津さんの大学時代の友人が職員として働いておられ、久々の再会だったようで

てんつくマン講演会のポスター啓示を快く引き受けて下さいました。

また、校内を歩いていましたら、“大津先生!”という、元気な呼び声が聞こえ

振り向くと、大津さんの塾の教え子との事。

キラキラした瞳の好青年でした。

すかさずてんつくマンのチラシを渡すと、既に知っていてくれて、

友達用にチラシを受け取ってくれました。

今日は駿河台大学で小さな種を蒔いてきました。

どう育つか見守りたいと思います。

No16・ポスター貼り

1月16日

気温が低く、寒さが骨身にしみるような 一日でしたが

相変わらず、心は燃えており、飯能市内をてんつくマンのチラシ配りで回りました。


飯能駅前のラーメン屋さん 「大穀」

こちらのご主人も、奥さんも、本当に良い方で

店内の一番目立つ所を選んで貼って下さいました。

また、駅前で人通りが多いので、店の外にも貼らせて下さいました。

講演会の内容にも、関心を持って下さり、チラシを見ながら“面白そうだねぇ”と

話して下さいました。


 
宮脇書店の御主人も、賛同して下さっており、ビルの外壁に貼らせて下さいました。

当日は奥武蔵駅伝が終わり次第、てんつくマンの講演会に来て下さるとの事。



朝日新聞社・飯能の玄関に外側に見えるように貼って下さいました。

今回はポスターは作成していないので、大きい紙にチラシを2枚並べて

筆文字で、目立つように「てんつくマンがやってくる」と書きました。

手作りポスターです。


真柴医院の常務理事、真柴新作さんは、お忙しい中にも関わらず、応接室に通して下さり

すぐに待合室の、患者さんの目が集まるテレビの近くに貼って下さいました。

チラシは受付に置いて下さいました。

真柴医院の裏のレンタルビデオ屋さんや、その向かいのリサイクルショップ、

そこから先の自然食品のお店、「ひまわり」という本屋さん・・・

自分の足で一軒一軒訪ね歩き、自分の口で主催者としての思いを伝え、了解して頂くという

地道な行いが、少しずつ実を結んでいます。

今日も、飯能市内のポスターを見て申し込んで下さったという方がいらっしゃいました。

かなりの枚数を貼っていますので、目には入っていると思いますが、

そこで立ち止まり、申込み先を控え、連絡して下さるのですから

その方の行動力に万歳です!

「動けば変わる」を実践しているわけですよね。

300席の内、まだ100席の申し込みです。

残りの日々で200人を動員します。

ブログを読んで下さっている皆さん、是非お力貸して下さい。

一緒にわくわくしましょう!

2012年1月17日火曜日

No15・ロータリークラブで卓話

1月17日(火)

ロータリークラブの定例会で卓話をさせて頂きました。

日頃、会社のリーダーとして、また地域活性化の為、海外の青少年達の為、

様々な活動をされていらっしゃる、公的精神の高い方々の集まりですから、

そのような方々の前で、私のような若輩者が何を語るべきか悩みましたが、

やはり主人を抜きに私の人生は語れないですし、

今の私の歩みは、主人と共なる部分が多いですから、

思い切って主人の生きざまと死にざまも伝えました。

また4人の子供達とどうやって悲しみを乗り越えたか、

そして、残された私の役割について。

普段、私がどのような事を心がけているのかを伝えさせて頂きました。

これが私の講話のメモです。




































メモ書きなので、私にしか分からないと思いますが、

私がこれまでブログに書いてきたことを、掻い摘んで話させて頂いた感じです。

そして最後に昨年私が作曲した「ロータリーの歌」のCDを会場に流して貰いました。

作詞は引間豊さん

自分で言うのもなんですが、この曲に関しては本当に与えられたと思っています。

まず、引間さんの詞が素晴らしい!

言葉のひとつひとつがメロディを導いてくれたような感じです。

この歌が今後何年も、ロータリークラブで歌い継がれていく事を思うと

自分でも誇らしく思います。

この曲が会場に流れてから、その場の空気が変わって行くのが分かりました。

この歌が私の拙い講話をフォローしてくれたような気がします。

帰り際、内科医の先生が話しかけて下さいました。

“長谷川さんはクリスチャンですか?”と

驚きました。

“ミッション系の学校に通いましたが、洗礼を受けているわけではありません”

と、お答えしました。

クリスチャンの雰囲気がしたとの事。

確かに聖句を一つ用いましたので、そのように感じられたのかも知れません。

その先生は宗教は持っていないのだけれど、仏教に関心が有り、チベットを四度訪れているそうです。

75歳とは思えないくらい若々しく、目が済んでいらして、もっと話がしたいと思いました。

恐れ多くも人生の大先輩から、“いい話を聞かせて貰いました。ありがとう”

という身に余るお言葉を頂戴いたしました。

てんつくマンの生き方についてもご紹介させて頂きましたが

“子供を連れて、29日伺います。”と話しかけて来て下さった方もいらっしゃいました。

日高ロータリーの会長からは

“お話を聴いていて、とても純粋な方だと思いました”と言われました。

以前ブログでもご紹介しました、同い年の古本良子さんには

“大切な事なのに、いつの間にか忘れちゃうのよね・・・”と

しみじみ言われました。

当たり前の事に、感謝する習慣を付けましょうという話をしましたので

そこの部分で響いたようでした。

最近、友人が若くして亡くなられたそうで、今日を生きている事が

決して当たり前ではないんだと思ったと、伝えてくれました。

今回、私を講師として読んで下さった引間さんに感謝いたします。

とても良い機会を与えて頂きました。

2012年1月16日月曜日

No14・文化新聞に再び

1月16日(月)

今日は午前中、文化新聞の取材を受けました。

昨年12月にも掲載して下さいましたが【バックナンバー 12月号、No3】

今月29日の、てんつくマン講演会の告知と共に、主催者として思い、抱負、等を載せて頂く予定です。

担当記者さんは、まだ若い女性の方ですが、個人的に私が応援している記者さんです。

とても洞察力があると感じています。

今日も、私の根底にある原動力を見事に見つけ出してしまいました。

“やっと腑に落ちました”と、とても納得した様子でした。

それは、特別に記事にする程の内容ではないのですが

私をよく把握した上で、書く記事と、表面上の記事では

やはり違いが出て来ると思います。

そういう意味では、私も思い切って自分をさらけだして見ました。

私の娘と6歳しか違わない記者さんが、ずいぶん大人に見えました。

人に語らせる度量のある方なんですね。

まぁ、そもそも記者は聞き役に徹しなくては、良い記事は書けないとは思いますが。

また昨年から、私のブログを見ていて下さっているようで

いろいろな事を把握していらっしゃいました。

その解釈も深いなぁ~と感心させられました。

どんな記事になるのか、ひそかに楽しみです。

No13・中丸薫

1月15日(日)

東京・有楽町で行われた中丸薫さんの講演会で、急遽、ピアノの弾き語りをすることになり

ライブで必ず歌っている「ひまわり」を歌いました。

これまで中丸薫さんの本はたくさん読んで来ましたし、知人 友人にも貸して来ました。

今回、初めてお会い致しましたが、気さくな方で話し安かったです。

中丸先生も2年前にご主人を亡くされています。

“たくさん、ご主人とお話されたらいいわよ!”と言葉を下さいました。

それから、中丸先生の昨年の秋に出版された本の中に、てんつくマンの活動内容に関して記したページが有りましたので、

1.29の講演会のチラシをお渡しし、

チラシが完成するまでの経緯をお伝えしますと、感心して下さいました。

懇親会の会場で何人かの方と名刺交換をしたのですが

司会をされていた方に、是非歌って欲しいと言われ、会場にグランドピアノが有りましたので

1曲だけ歌いました。

突然の事でしたし、もちろん譜面も持ち合わせていませんでしたので

てんつくマンの「希望の種・プロジェクト」のテーマソングを歌い、せっかくですので

自己紹介と1.29の講演会の告知もさせて頂きました。

想定外の展開にも関わらず、どこかで予想していたような気もするんです。

心を込めて歌い終えますと、100人ほどのお客様から、それはそれは大きな拍手を頂き、

何人かの方々が、感想を述べに集まって下さいました。

とても嬉しかったです。

てんつくマンの講演会に関心を持って下さった方もいらっしゃって、

ちらしをたくさん貰って下さいました。

ここでも、また輪が広がりました。

最後に私のピアノ伴奏に合わせて、会場全体で「ふるさと」を合唱しました。



会場でサイン入りの書籍を買いました。

帰りは、私の大好きなスポット、代々木八幡宮にご挨拶をして帰りました。

実は17年前、長女が生まれた頃、代々木八幡宮の近くで暮らしていました。

その頃から気になっていた神宮です。

バスで通り過ぎる度、呼ばれているような感覚が有りました。
















今では、東京に出た時は必ずお参りさせて頂いています。

実は境内に私の心を引き付ける樹木が一本有りまして、

いつも抱きしめたり、頬を付けたりします。

手を触れたまま、しばらく深い呼吸を繰り返します。

すると心が平常心に戻れるのです。

その愛おしい木が無性に恋しくなり、こうして充電させて頂いてます。

今日はこんな表情を見せてくれました。

これは根元は一つなんですが、途中から2方向に分かれて行くんです。

それぞれの道を進んで行くようでも、深い所ではしっかり一つに繋がっている。

そんな揺るぎない人間関係が理想だと思います。

一緒に成長して行ける関係。

天に向かって、支え合いながら、生きていけるなんて素敵ですよね。

皆さんも機会がありましたら、是非、私のお気に入りの木を探して見て下さい。

2012年1月13日金曜日

No11・大田篤

1月8日(日)大田篤さんの講演会のスタッフをしました。

























ずっと気になっていたことが、すっきりしました。

と言いますのは

聖書と日本古事記のストーリーの共通性です。

余りにも内容が類似しています。

私は、秋田県のミッション系の女子高時代、聖書を学びましたが、

子供が産まれてから読み聞かせ用に「古事記」を読むようになりました。

その関係性は書籍から情報として入っていましたが、今一つピンと来ませんでした。

今回の大田篤先生の解説で実感として入りました。

私はなぜか、幼い頃からスサノヲ様にひかれておりまして

スサノヲ様のお嫁さんになりたいと思っていたくらいです。

どこかで、スサノヲ様が見ていて下さっているような感覚が有りました。

不思議な事に

大田先生の後援会の前日、ある方から電話を頂きました。

その方は、先月の私が主催した上映会に来て下さった方で、

直接、お会いした事は無いのですが

電話で、神社で生まれ育った方だと知りました。

その電話で、話の流れからスサノヲノミコトについての話題に花が咲き、

さすがに神主の勉強をされた方だけあって、興味深い内容を色々と教えて頂きました。

その情報を得て、翌日の大田篤先生の講演を聞きましたので

全てが繋がりました。

高天の原から追い出されたスサノヲが今「再び戻って来た」という結論になるわけですが・・

テレビの特集で、よくユダヤ人が日本に渡って来たとか、日本人はユダヤ人だったというテーマで放送されますが、

実は、日本に渡って来たのではなく、日本に帰って来た

追い出されたスサノヲはユダヤから、故郷に帰って来た

日本人がユダヤ人だったのではなく、ユダヤ人は元々日本人だったという話なんです。

聖書の前に古事記があった

このような内容は、確かに本で読んで知っていたはずなのに

 “あぁ、分かる、分かる、やっぱりそうだ!”とようやく心に響きました。

なぜかこのタイミングで飲み込む事が出来たんです。

先月、短期間に京都に二度も行来ましたが、もしかしたらこれも何か導きがあったのかも知れません。

京都の太秦では結果的にユダヤと関係の深い場所を巡りましたし、

朝鮮半島から渡来した秦氏達は、元々ユダヤからシルクロードを通って日本にやって来たと言われていますが、その秦氏達が暮らしていた痕跡が、「太秦」にあります。

太い秦と書いて、どうして「うずまさ」と呼ぶのか不思議だと思いませんか?

太秦の広隆寺や蚕の社を尋ねた時、タイムスリップしていくような感覚がありました。

 【バックナンバー 2011年12月号No6・再び京都へ】

漠然とですが、昔々、そこに住んでいた様な、懐かしさを覚えました。

ですから、大田先生の講話に出てきた京都の話は、つい先月訪れたばかりの私にとっては

イメージしやすく、馴染みやすかったんです。

全て供えられた出来事だったのでは・・・と

私がこうして、朝鮮半島と縁の深い日高市に越してきたのも

高麗郡が建郡されてから1300年を迎えようとしているこのタイミングで

その記念事業に関わる事になったのも

一昨年、奈良の平城京跡地に取材に行かせて頂いたのも

大きな流れの中での事の様に思えて来ます。

そして、15日にはユダヤと日本に関連する書籍を数多く出版している

国際政治評論家で、各国大統領や国王との対談を重ねたり、数々の国際会議に出席しておられる

ジャーナリストの中丸薫さんの講演会に行って参ります。

昼食もご一緒させて頂きます。

色々質問したい事が有リます。

中丸さんとてんつくマンが会ったらどんな話が展開するのだろうと

リアルにイメージしていると

実際、昨年の秋頃、それが現実になり、私自身、驚きました。

その後の中丸さんの本に、てんつくマンの活動が記載されたので、

てんつくマンに報告しますと本人も驚いていました。

また、今回、大田先生の講演会で、てんつくマン講演会の告知をさせて頂くと

大田先生自ら、てんつくマンを証しして下さり、

“彼の使命は大きい、世直しの為に精力的に活動している男です。

てんつくマンの講演会はお勧めです!”と促して下さいました。

そこで、早速、講演会の申し込みがありました。

みんな,繋がっているんだなぁと実感します。

大田先生の講演会を主宰された、清水美和さんもヨガの指導者です。

大田先生の息子さんと、私の弟の誕生日が同じという事実を知りました。

7月17日

これはユダヤ人にとっては聖なる日(ノアが方船から降りた日)で、

約一か月続く、京都の祇園祭の特別な日でもあります。

祇園祭りの神輿には聖書の中のシーンや、バグダッドの風景が描かれているのを

ご存知でしたか?

ユダヤ人達は、祇園祭りを見て、自分達の風習とあまりに類似しているので驚くそうです。

世の中に「偶然」は無いというのであれば、「必然」の意味を紐解きたくなるものですね。

大田先生の講演の結論は日本人の使命が大きいという事。

今後、地球が変動期を迎える時に、滅びる人、救われる人、救う人とに分かれる

救う人になって下さい。と

自分さえよければいいという考えを持っていては、少なくとも救う人にはなれないですものね。

バックナンバーのNo7・国家の品格を、もう一度ご覧頂きたいと思います。

2012年1月12日木曜日

No10・武者小路実篤

一昨日から子供達は3学期がスタートしました。

中3の次女が学校から持ち帰ったプリントをご紹介します。

受験直前の中3の次女にちゃんと響いているのかしら?と首を傾げてしまいますが・・・

私に響いてどうするの?

私が一番嫌いな言葉「後悔」

「反省」ならいいのですが、いつまでも、いつまでも、

~すれば良かった・・・とか、

~するんじゃなかった・・・とか

自分を許さないことですよね。

自分を認めてあげられないということですよね。

自分にダメ出しをしている時間がもったいないと思うんです。

そこにエネルギーを使うより、未来に向けての準備に費やした方が

よほど健全だと思います。

私も確かに「苦い思い出」はありますが、

それを客観的に振り返れる自分がいるわけですから

それは必要なステップだったのだと、受け止められます。

遠回りのようで、実はそれがベストな道だったのだと

ちゃんと認めてあげていいんだと思います。

自分に対しても、人に対しても

必要以上に自分を責めないこと

もちろん人をも。

先週、親友が嬉しいメールをくれました。

真っ先に私に報告したかったと・・・・

“それでいいんだよ!”という言葉が降りてきたと。

精神的にかなり追い詰められていたようで、

実は、自分で自分を追い込んでいたんですね。

でも、“あなたは間違っていなかったんだよ。”という境地に辿り着けたようでした。

“もう、大丈夫!それで良かったんだから。神様もほっとしてると思うよ。”と返信しました。

『 こんな歩き方でもいいのか?

 いいのだ!

 一歩でも 一寸でも 信じる道を 進め 進め 』

                          武者小路実篤さん、ありがとう!


皆さん、エネルギーを何に使うか、使いたいか、使わせて頂きたいか

自分の魂が、本当に欲するのは何なのか?

受験間近の3年生に向けて、中学校が配布して下さったプリントでしたが

心が、妙に反応してしまいました。

2012年1月10日火曜日

No9・和と輪

今日は嬉しい事が3つありました。

捉え方次第で、今日起こった出来事は全て嬉しい事になり得るのですが

まずひとつ、先月 私が主催したてんつくマンの上映会に来て下さったお客様の一人が

なんと、今度はご自身が上映会を主宰するとのこと。

上映会でのアンケートで、あえて、こんな質問を入れました。

・《 ご自分も自主上映会をしてみたいと思いますか? 》

すると13名の方がYesと答えてくださいました。

私はその13名の方が、何かしらのアクションを起こしてくれると、わくわくしながら待っていたんです。

主体的に動いてくれる人が一人でも現われたら、この上映会は成功になると。

一か月もたたないうちに、決心して下さったのですから本当に嬉しいです。

2月11日に開催との事、是非 応援してあげたいです。

1月29日のてんつく講演会の会場でチラシを配布していただこうと思います。

二つ目は、今日の私の体操教室に、先月の上映会に来て下さった方が参加しに来て下さった事です。

この方は、二児のお母さんなんですが、なんと産後たった2週間の乳飲み子を連れて映画を観に来てくださったんです。

この赤ちゃんもまた偉くて、上映中、一声も出さず、お母さんの胸の中ですやすや眠っていました。

今日の体操レッスンも母子での参加でしたが、他の生徒さん達が生後1か月の赤ちゃんに釘付けで、満面の笑みで覗いたり、抱っこしたりして、教室が温かい雰囲気に包まれました。

新しい命のエネルギーは素晴らしいです。

そして、有難い事に、その方が素敵な薬局を紹介してくださいました。

そこに、てんつくマン講演会のチラシを置かせて下さいました。

母娘で薬局を運営しているのですが、お二人ともてんつくマンをよくご存知で

1,29の講演会の宣伝をして下さるとの事

私の亡き夫が、和漢生薬の薬学博士でしたので、生前ご縁が持てたら良かったと思いました。

聞くところによると、昨年5月頃、川越西高校でてんつくマンの講演会が開催されたそうで、そこの先生と、お知り合いとの事。

教育現場で働く方々に聴いて頂きたいと願う私にとって、とても貴重な情報を頂きました。


そして三つ目、ある友達から、ずいぶん久しぶりに電話があり、話を聞くと

精神的にかなり追い込まれた状態にあり、電話の向こうでしくしく泣いているのです。

“もう限界です・・”と。死さえ考えていると・・・

同じ境遇に立ったことの無い私が、いくら励ましの言葉を並べても嘘になるのでは・・・と

言葉が出てこなかったんですが、

てんつくマンの「試練の超え方=自分の愛し方」を、私なりにアレンジして少し伝えました。

てんつくマンの物の見方、考え方、言葉の一言一言、生きざま、これまでの実績を知るだけでも心に希望が湧いてきますから。

自分をわくわくさせるものは何?

わくわくする時ってどんな時?

私の質問に、電話の向こうの友達は

“そういえば、わくわくなんて感情は忘れてた・・・”と。

私はそこからだと感じました。

それで、何はともあれ、1,29の講演会に来れば彼女の「わくわく感」が蘇えるかも知れないと思い、誘ってみました。

すると参加を希望してくれました。

必要な人、求めている人の所にはちゃんと届くのだと思います。

必要な人の為に、席は既に供えられていて、タイミングよく出会えるようになっているのではないかと感じました。

私がアンテナを高くしていれば、必要としている人と繋がる事が出来るのだと思います。

今日出逢った人達は、「今」がその「時」なんだと思います。

先日の大田篤さんの講演会場で初めて出逢った方に言われました。

“裕子さんは静かな水面に石を落す人ですね”と

私はよく理解できず、意味を尋ねると

“石が落ちれば、後は、勝手に輪が広がって行くでしょう?

輪を広げるのは裕子さんの役割ではなくて、落とすだけ。

例え小さな小石でも投げ込まれたら、必ず何かしらの波紋は広がって行くものだから。

裕子さんは投げ続けて行くだけでいいんだと思います。”と

私は、こうやって、てんつくマン講演会を主宰し、多くの方々に参加を呼び掛けるだけでよくて、

私からの誘いが、石となって、どれだけの人の中に輪が広がって行くか

それを静かに待っていればいいんですね。


*ブログをご覧下さっている方々から、今回の事故後の容態はどうなのか連絡を頂きました。

ご心配おかけました。

事故直後に接骨院で診て頂きましたが、例えばムチウチ症は時間を置いてから出て来るので様子を見ましょうと言われました。

今のところ、何ともありません。

私は大丈夫です。今日も通常通りに体操を教えましたので。

車の修理には約3週間かかるとの事です。

皆様も、どうかお気を付けて。

2012年1月9日月曜日

No8・事故

実は正月早々(4日前)車の事故を起こしてしまいました。

事故と言いましても自損ですが。

ある駐車場で、バックにギアを入れたつもりが、入っておらず、アクセルを踏んだために

コンクリートとフェンスに突っ込んでしまいました。

自分でも何が起こったのか理解できなかったくらい、

初歩的な、いいえ、あってはならないハンドルミスです。

車のフロント左部分が、完全につぶれていまい、

ラジエーターの水が全て流れ出てしまいました。

この液体はいったい・・・?

ガソリンだったらどうしよう!

でも、無臭だ。

その場で放心状態の私に、たまたま自転車で通りかかった知人が声をかけてくれて、

状況を察して私の会社の社長に電話を入れてくれました。

すると、たまたま社長は、近所にいて、すぐに駆けつけて下さり、

車の状況を見て、冷静に対応して下さいました。

私は保険会社に電話を入れるだけで精一杯でしたが

レッカー車が到着するまでの時間に、自分を取り戻した感じです。

駐車場の持ち主に電話をすると、すぐに現場に来て下さいましたが、

その方が、とにかく私を心配して下さるんです。

私を慰めるのに必死で、“怪我がなくて良かった、良かったぁ”

“これくらいで済んで良かったと思いなさいよ”

“正月の内に厄払い出来て良かったじゃないの。”

確かに、相手が人だったら・・・、車同士の衝突だったら・・・、

ここが、コンビニの駐車場だったら・・・

と思うと、まだ物損で済んで良かったと。

結局、ゆがんだフェンスはその方(70代くらいの女性)のものではなく、

持ち主が他にいた分けなんですが、まるで母親の様に接して下さいました。

車はトヨタのハイブリッドカー・エスティマワゴン

主人が生前、家族で遠出する時の為にと、思い切って購入してくれた高級車です。

購入して2年余りで主人は逝ってしまいました。

私は免許を持っていませんでしたから、運転手を失った車だけが残り・・・

爽やかなスカイブルーのエスティマを眺めていると、主人とダブって見えて来ました。

“私が運転するしかない”と

告別式から10日後、思い切って教習所に申込みに行き、

免許取得後は、エスティマを主人の体だと思って運転して来ました。

主人の免許証と自分の免許証をセットにして持ち歩いていました。

守ってくれるようにと。

なので、ぐしゃぐしゃになってしまった車に向かって、

“お父さん、ごめんなさい”を繰り返していました。

レッカー車で運ばれるエスティマを見つめていると、

主人が救急車で運ばれた日の情景が浮かんできてしまいました。

場所的にも左顔面下の耳下腺ガンと、つぶれてしまった車のフロント左下部分が

重なって見えてしまいました。

これはどんなメッセージがあるんだろうか・・・

確かに、最近車での移動が多くなり、運転に慣れてきたせいか、気持ちに隙がありました。

運転も雑になっていた自覚があります。

気を引き締めろという忠告であることは間違いありませんが。

突然、車(足)がなくなった事で、身動きが取れなくなってしまい、

予定していた事が進まなくなってしまったんです。

この事故についててんつくマンに報告を入れると、こんな返事が・・・・

  『おいらが受け取ったメッセージは、

  一人で出来てた事が出来なくなるでしょう。

   頼る、ってどんな感じ?最近出来てる?』

驚きました。

何故、彼には分かってしまうのでしょうか?

てんつくマンを呼ぶという企画の言い出しっぺは私だから、私が責任を取って行動しなくては・・・

と、プレッシャーを抱えながらも、一人で背負っていた事は確かです。

明らかにキャパを超えていました。

もっと仲間を信じ、仲間に頼れ、甘えろ・・・というメッセージ。

それで思い切って、先月のてんつくマンムービーの上映会に参加して下さった、知り合ったばかりの方に電話をしてみました。

すると、待ってました。とばかり、その方のお陰で、思いの他、事がスムーズに進み

新しい出会いもあり、その方にとってもスタッフ感覚を持つきっかけになったりと・・・

個人戦ではなく、団体戦なんだという事に気付けたり。

その方は言いました。

“300人の会場を満席にするというゲームを一緒に楽しんで行きましょう!”と。

嬉しいではないですか?

つい3週間前に、初めててんつくマンの映画を観て、

てんつくマンのメルマガに影響を受け、心動いた人ですよ。

すっかり、てんつくマン流の捉え方になっているではないですか!

今回、現実的に身動きできなくなり、“助けて下さい!”と声に出してみたら、

“よっしゃ~!”という反応が広がり、“あぁ、こういうことかぁ”と感じた次第です。

私が自分自身で「一人の百歩を」を突き進むところでした。

「百人の一歩」からと言いながら。

100人の方々に力を貸して頂いて完成した、思いのこもったチラシを

一人でどうにかしようとしていました。

100人で進めて行かなくては。

町の活性化も願いの一つであったはずです。

みんなで、盛り上げて行きたいと始めたことだったはずなのに

一人で背負いこんでいました。

ブログをご覧の皆さん、もし、“私も力になります”と心動いた方は、是非、連絡下さいませ。

当日、都合が付かないという方も、広報面でのご協力宜しくお願いします。

事故は事故として、反省材料はたくさんありますが、

学んだ事も大きいです。

てんつくマンがいつも言います。

 『出来事は只の出来事。

 その出来事に意義付けをするのはあんたやで。

 あんたの意義付け次第で、良いも悪いも決まるんや

 過去は変えられへんけど、意義付けは出来るやろ?』

そして

「心の傷」を「キズ」で終わらすことも出来るけど、そこから何かを学んだら

「気付き」(キズ・キ)になるんやで。

傷のままで終わらせたらほんまに傷のまま残ってまう。

どうせなら、いっぱい気付いた方がええやん!

No7・国家の品格

1月8日(日)

浦和駅から徒歩8分くらいの場所にある、さいたま市民会館うらわで

大田篤さんの講演会が行われ、スタッフとして参加して来ました。

会場に着くまでの電車の中で藤原正彦氏の『 国家の品格 』を読みました。

既に7年も前に発行された本です。

大好きな本で、時々読み返すのですが、朝、家を出る時、ふと手にして

鞄に入れました。

車内で読みながら、涙しました。

例えば皆さん、桜の木を見て、何を感じますか?

私の四番目の子が一番最初に覚えた言葉が“ きれい! ”でした。

桜の花を見て“ちれぇ~、ちれぇ~”と、喜んでいました。

たかが1歳の赤ん坊ですよ

日本人のDNAでしょうか。

この本の中に「日本人の特有な感性」という項目があります。

例えば「虫の声」。海外ではノイズとして受け取られてしまう。

日本人はそこに「秋」を感じる。

枯葉を踏みしめながら「秋」を感じる。

同じ雪でも、細雪、ドカ雪、牡丹雪、粉雪・・・という言葉で様々に表現する。

桜の花が本当に綺麗なのは、たった3~4日ですよね。

日本人はそのたった3~4日の美しさの為に日本中に桜の木を植えているでしょう?

たった3~4日に命を懸けて、潔く散って行く桜の木に、人生を投影し、

そこに他の花とは違った別格の美しさを見出し、ついに国花にまでしてしまう。

「 もののあわれ 」の感性は海外にはないと言います。有っても、日本ほどではないでしょう。

人間の儚さや、悠久の自然の中で移ろいゆくものに美を発見してしまう。

ものが朽ち果てていく姿を見れば、誰でもこれを嘆きます。

けれど、その儚いものに日本人は美を感じる。

儚く消え行くものの中にすら、美的情緒を見い出してしまいます。

こんな美しく、情緒豊かな日本が、どうして戦争なんかしてしまったんだろう・・・

どうして「虫の声」をノイズと捉えてしまう様な国に負けてしまったんだろう・・・

誰の涙か分からないけれど、私の中の奥深くから、やり切れない思いがこみ上げてきてしまったんです。

昨年はいろいろな講演会や書籍から、戦後いかに日本がアメリカにコントロールされてきたかという事実と実態をを知らされ、目が覚めた一年でした。

東日本震災後、世界中が日本を注目していましたが、我々日本人の行動に世界は驚いたと言います。

例えば津波で流された金庫の9割は、持ち主の手元に戻ったという事実。

強盗、略奪がそれほど問題にはならなかった事も。

拾った金庫を持ち主に届けるのは、当前の事ですよね、

そんな当たり前の事が、世界では驚くべきこととして捉えられてしまう。

支援物資も、我先に!と群がってこない。

両手を合わせ、ありがとうございますと深々と頭を下げて受け取る。

中には、“こちらよりあちらの避難所の方が足りなさそうなので、そちらをお先に”

と、譲ることが出来る。

ぎりぎりの精神的、肉体的状況の中で日本人が示した思いやりの心

日本人の精神性の高さに、世界が感動したと言います。

我々日本人も、改めて日本人としての誇りを取り戻したのでは無いでしょうか

海外からのニュースでよく見る映像ですが、

天災で家族を失って、天を仰いで泣き叫ぶ遺族たちの様子

日本人の悲しみの耐え方も、世界の方々にしてみれば驚きだったようです。

悲しいのは私だけじゃない。

もっと辛い立場の人を察してあげる事が出来る、

相手の痛みを自分の痛みとして捉えることが出来る、

皆さんも被災地に行けなくても、何かせずにはいられなかったでしょう?

自分に出来る事は無いかと考えたでしょう?

私達が極々自然に取っている行動が、もしかしたら

世界の人々の良心にスイッチを入れて行けそうな気がします。

昨年ワールドカップサッカーで優勝した、なでしこJAPANの選手達も

“震災後の今、メダルを持って帰らずしていつ取るんだ?”と言い聞かせながら

ピッチを走り続けたと言います。

澤選手が“苦しい時は私の背中を見なさい!”と後輩達に言ったという話も有名ですよね

世界に日本の精神、武士道や礼儀の正しさ示した一年だったと思います。

物質文明はこれ以上、今以上、栄えなくてもいいのではないでしょうか・・・

私が子供の頃より、それはそれは便利な世の中にはなりましたが、

なんだか怖いです。

手間暇かけて造って頂いた物を受け取った時の、

嬉しさ、有難さ、喜び、

逆に、手間暇かけて造っている時の充実感等々・・・

誰かに助けて貰った、あるいは誰かの為に役立てた、

そんな充実感は

お腹が満たされた時以上の満足感に繋がりますよね。

物で満足する時代が終わりを告げようとしている気がします。

電車の中で読んだ「 国家の品格 」から色々な事を感じました。

そして、大田篤さんの講演会では、正に私が車内で感じた事を裏付けてくれるような内容でした。

この会場でも不思議な体験をしました。

大田先生の講演会の内容はあまりにも膨大で、かつ 深いので

追ってご紹介して参ります。

2012年1月4日水曜日

No6・初仕事

1月4日(水)

高麗神社の境内にて、高麗郡建郡1300年祭の向けての広報活動をしました。


4日とは言え、それでも大勢の参拝客で行列ができるくらいでした。


           こちら高麗郡建郡1300年記念事業委員会の、丹下会長です。

“4年後の2016年には、1300年を迎えるんです!”と

言いながら、相当の枚数のチラシを撒きました。


この地が挑戦半島と縁の深い土地であることを

歴史的観点から、簡単に説明させて頂きました。

韓流ドラマがきっかけとなり、韓国の歴史に関心を持たれた方々も
かなりいらっしゃって、

立ち止まって聞いて下さったり、質問して来られたり、

その反応が嬉しかったです。



“韓国の方ですか?”と

尋ねられる事が何回かありました。

 “いいえ、日本人です”と日本語で答えず

 “アニョ、ナヌン イルボンサムニダ”と答えてしまいました。

韓国語もしばらく使わないでいるうちに

すっかり錆びついてしまいましたが

1300年を迎える頃までには通訳が出来るくらいに取り戻したいと思います。


2012年1月3日火曜日

No4・感謝力

私の大切な人達、

このブログを見て下さっている皆さん、

そして私自身に

今年も与えられますように。

幸せで健やかな毎日をおくる為の 『健気』と『元気』

わくわく生きる 『夢』と『情熱』

ほんのちょっとした事にも感動する 『豊かな感性』と『洞察力』

喜びを倍に、悲しみを半分に分かち合う 『素晴らしい仲間』

幸運を引き寄せる 『運気』と『人気』

悩みや課題を乗り越える 『勇気』と『知恵』

全てにありがとうと思える 『感謝の心』

これらが与えられ、充実した一年となりますように。

私は個人的には、『感謝力』が鍵だと思います。

今年も自分を『ありがとう体質』にしていきます。

“ありがとう”

この一言でかなりのストレスは軽減されます。

悔しい時、辛い時、寂しい時、腹立つ時、がっかりした時、イライラした時、

そういう気持ちを通過させて貰えた事に、思い切って感謝してみるんです。

“考えてみれば、有難いことだよなぁ~”と思えたらクリア

心が色んな事に反応するという事は、生きている証しでもありますから。

豊かな人生に万歳!

No5・自分を大切に

昨年の私は「天国」と「地獄」を見た気がします。

地獄にいた頃の私に向かって、今の私が言葉を掛けてあげるんです。

“その悲しみは長くは続かないよ。大丈夫だからね。

あなたが嘆く程、未来は悪くはならないから。

大丈夫!

もうすぐ光が差し込むから。

信じて、今は耐えて欲しい”と・・・

皆さんも良かったら、やってみて下さい。

一番しんどかった時の自分を思い浮かべて、

そんなぎりぎりの状態の自分に言葉を掛けてあげるんです。

そして、しっかり抱きしめてあげるんです。

“大丈夫だからね。あなたは十分頑張ってるよ。

そこを通過しないと辿り着けない場所があるんだけど、もうすぐだからね”

という具合に。

あるいは、今がしんどいという方は、未来の幸せいっぱいの自分が

会いに来てくれるイメージを描いてみて下さい。

“実はね、今のあなたのお陰で、将来は想像以上に開けて行くんだよ!”とか

自分で自分をリードしたり、自分の過去を肯定してあげたり、

そんな作業をきちんとすることによって、とても前向きに生きられるようになるんです。

自己ヒーリング。

自分を大切にしてください。

まずは自分を愛してあげて下さい。

自分の夢をかなえる事に懸命になって下さい。

自分を満たしてあげる事に手を抜かないで欲しいと思います。

無責任なわがままを貫き通せと言っているわけではありません。

何をしている時が一番幸せか、

突き詰めていけば、自分一人の幸せでは済まされなくなる事でしょう

人間は元々「為に生きたい」存在だと思います。

誰かが喜んでいる様子を見て、嫉妬しますか?

それとも一緒に喜んであげますか?

目標を達成した人を見て、“おめでとう!”と拍手してあげますか?

それとも“ いつか蹴落としてやる ”と思いますか?

嬉しそうな満面の笑みを見て、自分も嬉しくなりますか?

それとも“ ちくしょう。なんで?”と、腹が立ちますか?

まずは、自分を満たしてあげて良いんだと思います。

自分の中に不平や不満があると、見落としてしまう事がたくさん出て来てしまう。

人の幸せが妬ましくなってしまう。

だからまずは、自分の魂が喜ぶ事をしてあげる。

本来、他人の喜びは、自分の喜びでしょう。

身内や、大切な人の喜びを100%喜んであげられるように

他人に対しても、それが出来たらいいと思います。

誰かの我慢や犠牲の上に成り立つ幸せは、有得ないと思いますが、

やりたい事を貫こうとすると、多かれ少なかれ他人に迷惑をかけるのは

避けられないと思います。

日本人は“ 人に迷惑をかけるもんじゃないよ!”と教育されてきましたよね。

皆さんもそうではないですか?

実際、私も自分の子供達に、何度言い聞かせてきたか知れません。

私自身も、両親や親戚、近所の大人達にそう言われて育って来ました。

なので、何かを選択する時、

「人に迷惑をかけるか?かけないか?」が基準となる。

しかも無意識のうちに。

ところがインドでは、

「人は、生きていれば人に迷惑をかけるものだから、

誰かに迷惑をかけたら、その2倍分誰かの為に動け」

と教えるらしいんです。

とても建設的だと思いませんか?

言いたい事を飲み込んでばかりでは、それがしこりになって病気になってしまうような気がします。

本当はやりたいことがある。

だけど、やれない理由を並べて、諦めた方が賢いと自分をも納得させてしまう

私は40歳の時、ある人に夢を語ると

“現実は甘くない、夢は諦める為にあるんだよ。目を覚ましなさい”

 と言われた事が有ります。

“いい大人が、その年で夢追い人になってどうするの?”

と、呆れられてしまいました。

魂のレベルまで、傷つきました。

年を取る度に、夢を諦めなくてはならないなんて、

そんな馬鹿な事は無いでしょう

だからこそ、あえて私は、人に夢を語らせます。

特に、同じ40代の方々に “叶えたい夢は何ですか?” と。

“素敵ですねぇ、その夢、是非とも実現させましょう!私も出来る範囲で手伝いますから”

と、わくわく感を共有します。

“同じ観るなら、踊らにゃ損、損。”

わくわくしながら、目をキラキラ輝かせ、活き活きとした表情の大人は素敵です。

そういう大人達と一緒にいると元気が出ます。

子供とはまた違ったエネルギーを貰います。

わくわくして日々を過ごしている人は病気にならないのではないでしょうか。

年を取ってる場合ではなくなって、どんどん若返っていくような気がします。

そんな活き活きした大人達に囲まれて育つ子供達を想像してみて下さい

私がてんつくマンの映画を自主上映したり

てんつくマンをこの地に呼んで講演会を企画したのは

子供達の教育に関わる人達に、まずは、元気になって貰いたいと思ったからです。

てんつくマンがそのきっかけになると感じたんです。

わくわく先生で、いっぱい、いっぱいにしたい。

町を、学校から元気にしたい。

町つくりは、人つくりから。

てんつくマンは人をわくわくさせてくれます。

わくわくする方法をたくさん知っています。

以前にもブログで紹介しましたが、新年、改めてお届けします。

てんつくマンの言葉












No3・日本を変える人々

1月3日(火)

今日は、皆さんに是非とも知って頂きたい人を三人ご紹介致します。

*中村文昭さん
 「お金ではなく、人の縁ででっかく生きろ」の著者

*大嶋啓介
 有限会社てっぺん社長

*てんつくマン
  NGO MAKE THE HEAVEN代表、映画監督、

日本全国を講演活動で駆け巡る、この三人の直筆サインです。


これだけ大物の三人が揃った色紙は、めったに見られないでしょう。

2010年、10月に、この三人が講師となって開催された

「九州へそ大学」

このDVDを購入した際、限定で頂いた貴重な色紙です。

それぞれのキーワード

“返事は0.2秒で”

“夢”

“動けば変わる”

是非、この三人の生き方を調べてみて下さい!

きっと、自分の奥深い所から、ふつふつと勇気が湧いてくる事でしょう。

今年、辰年の如く

高く高く、運気が上昇していく事を想像し

わくわくしてみましょう!


2012年1月1日日曜日

No2・初日の出

2012年1月1日(日)

中1の長男が撮った初日の出です。

午前6時半頃、日和田山の山頂近くから見た朝焼け

来ました、来ました、もうすぐ日が昇ります!


今朝は雲が多く、はっきりとその 姿が見えません


       それでも、美しい2012年の初日の出です。

         子供なりに感動した様で・・・

朝日を受ける富士山

見慣れた富士山でも、元旦に観る富士山は有難味が違いますねぇ!

富士山が見える土地に住んでいらっしゃる方は

新たな気持ちで眺めた事でしょう

息子は写真の出来栄えが良くなかったと、今一つ納得がいかない様子でしたが

朝、薄暗く肌寒い中、早起きして山に向かった意気込みは偉いと思います。