実は正月早々(4日前)車の事故を起こしてしまいました。
事故と言いましても自損ですが。
ある駐車場で、バックにギアを入れたつもりが、入っておらず、アクセルを踏んだために
コンクリートとフェンスに突っ込んでしまいました。
自分でも何が起こったのか理解できなかったくらい、
初歩的な、いいえ、あってはならないハンドルミスです。
車のフロント左部分が、完全につぶれていまい、
ラジエーターの水が全て流れ出てしまいました。
この液体はいったい・・・?
ガソリンだったらどうしよう!
でも、無臭だ。
その場で放心状態の私に、たまたま自転車で通りかかった知人が声をかけてくれて、
状況を察して私の会社の社長に電話を入れてくれました。
すると、たまたま社長は、近所にいて、すぐに駆けつけて下さり、
車の状況を見て、冷静に対応して下さいました。
私は保険会社に電話を入れるだけで精一杯でしたが
レッカー車が到着するまでの時間に、自分を取り戻した感じです。
駐車場の持ち主に電話をすると、すぐに現場に来て下さいましたが、
その方が、とにかく私を心配して下さるんです。
私を慰めるのに必死で、“怪我がなくて良かった、良かったぁ”
“これくらいで済んで良かったと思いなさいよ”
“正月の内に厄払い出来て良かったじゃないの。”
確かに、相手が人だったら・・・、車同士の衝突だったら・・・、
ここが、コンビニの駐車場だったら・・・
と思うと、まだ物損で済んで良かったと。
結局、ゆがんだフェンスはその方(70代くらいの女性)のものではなく、
持ち主が他にいた分けなんですが、まるで母親の様に接して下さいました。
車はトヨタのハイブリッドカー・エスティマワゴン
主人が生前、家族で遠出する時の為にと、思い切って購入してくれた高級車です。
購入して2年余りで主人は逝ってしまいました。
私は免許を持っていませんでしたから、運転手を失った車だけが残り・・・
爽やかなスカイブルーのエスティマを眺めていると、主人とダブって見えて来ました。
“私が運転するしかない”と
告別式から10日後、思い切って教習所に申込みに行き、
免許取得後は、エスティマを主人の体だと思って運転して来ました。
主人の免許証と自分の免許証をセットにして持ち歩いていました。
守ってくれるようにと。
なので、ぐしゃぐしゃになってしまった車に向かって、
“お父さん、ごめんなさい”を繰り返していました。
レッカー車で運ばれるエスティマを見つめていると、
主人が救急車で運ばれた日の情景が浮かんできてしまいました。
場所的にも左顔面下の耳下腺ガンと、つぶれてしまった車のフロント左下部分が
重なって見えてしまいました。
これはどんなメッセージがあるんだろうか・・・
確かに、最近車での移動が多くなり、運転に慣れてきたせいか、気持ちに隙がありました。
運転も雑になっていた自覚があります。
気を引き締めろという忠告であることは間違いありませんが。
突然、車(足)がなくなった事で、身動きが取れなくなってしまい、
予定していた事が進まなくなってしまったんです。
この事故についててんつくマンに報告を入れると、こんな返事が・・・・
『おいらが受け取ったメッセージは、
一人で出来てた事が出来なくなるでしょう。
頼る、ってどんな感じ?最近出来てる?』
驚きました。
何故、彼には分かってしまうのでしょうか?
てんつくマンを呼ぶという企画の言い出しっぺは私だから、私が責任を取って行動しなくては・・・
と、プレッシャーを抱えながらも、一人で背負っていた事は確かです。
明らかにキャパを超えていました。
もっと仲間を信じ、仲間に頼れ、甘えろ・・・というメッセージ。
それで思い切って、先月のてんつくマンムービーの上映会に参加して下さった、知り合ったばかりの方に電話をしてみました。
すると、待ってました。とばかり、その方のお陰で、思いの他、事がスムーズに進み
新しい出会いもあり、その方にとってもスタッフ感覚を持つきっかけになったりと・・・
個人戦ではなく、団体戦なんだという事に気付けたり。
その方は言いました。
“300人の会場を満席にするというゲームを一緒に楽しんで行きましょう!”と。
嬉しいではないですか?
つい3週間前に、初めててんつくマンの映画を観て、
てんつくマンのメルマガに影響を受け、心動いた人ですよ。
すっかり、てんつくマン流の捉え方になっているではないですか!
今回、現実的に身動きできなくなり、“助けて下さい!”と声に出してみたら、
“よっしゃ~!”という反応が広がり、“あぁ、こういうことかぁ”と感じた次第です。
私が自分自身で「一人の百歩を」を突き進むところでした。
「百人の一歩」からと言いながら。
100人の方々に力を貸して頂いて完成した、思いのこもったチラシを
一人でどうにかしようとしていました。
100人で進めて行かなくては。
町の活性化も願いの一つであったはずです。
みんなで、盛り上げて行きたいと始めたことだったはずなのに
一人で背負いこんでいました。
ブログをご覧の皆さん、もし、“私も力になります”と心動いた方は、是非、連絡下さいませ。
当日、都合が付かないという方も、広報面でのご協力宜しくお願いします。
事故は事故として、反省材料はたくさんありますが、
学んだ事も大きいです。
てんつくマンがいつも言います。
『出来事は只の出来事。
その出来事に意義付けをするのはあんたやで。
あんたの意義付け次第で、良いも悪いも決まるんや
過去は変えられへんけど、意義付けは出来るやろ?』
そして
「心の傷」を「キズ」で終わらすことも出来るけど、そこから何かを学んだら
「気付き」(キズ・キ)になるんやで。
傷のままで終わらせたらほんまに傷のまま残ってまう。
どうせなら、いっぱい気付いた方がええやん!