2013年2月8日金曜日

竣工式・司会

先日、介護施設が川越市にオープンし、その竣工式の司会を務めて参りました。




















元副知事、川越市長や県議会議員、他、坂戸市、飯能市、の市議会議員の方々はじめ

医療関係者、福祉関係者の皆さんが出席、祝辞を述べ、

立食パーティ形式で歓談

マグロの解体ショーもあり、約300人のお客様の口を楽しませていたようです。

私は個人的にマグロはあまり食べませんが・・・

姿まるまるを見てしまうと、なおさら食欲が失せてしまいました。

私は毎月、数箇所の介護施設を、ボランティアで演奏しに行かせていただいていますが、

職員は重労働のような気がします。

肉体的にも精神的にも。

私は時々出かけて行って、歌ったり、ゲームをしたり、リトミックを教えたりしているだけですが

そこが日々の仕事場となったら、やはりきついと思います。

実際、主人の闘病生活を支えていた頃、私自身も何度か倒れてしまいました。

意識を失ったこともあります。

まだまだ介護の現場は理解されていないように思います。

仕事がハードな割に賃金が安い現状を踏まえた上で、どのように対処して行くべきか

来賓の方々の挨拶にもありました。

埼玉県は病院ベッドの数が全国にに比べて少ないらしく

病院と介護施設との連携が大切だとの話でした。

私は個人的に、ベッドを増やすことより、

ベッドに寝込まずに済むように、予防学を徹底的に指導することも大事だと思います。

病院やドクターの数が少ないと嘆くのではなく、増やさなくても済むように

各自が自身の中に免疫力とか回復力とか自然治癒力とか、名医がいることを自覚し、

日頃から食生活に気をつけたり、運動を心がけたり、ストレスの発散方法を構築したり

生活習慣を見直すことが大事だと思います。

病気は、明らかにメッセージですから。

老人介護に関しては本人よりも、周囲の理解や覚悟が問われるような気がします。

痴呆が進み、徘徊してしまう人はスピリチュアル的に見ると

「どこかに行きたい!」という思いが「どこにも行けなかった」という願望から来ているとのこと。

行きたいけど 行けなかった。自由に行ってみたい。

残りの人生でその思いを叶えたい、という本人の思いが体を動かしてしまうと

聞いたことがあります。

暴食は、食べたいものが食べられなかった・・・

食べても食べても食べたことを忘れてしまう。もっともっと食べたいと口にしてしまう。

暴言は、言いたいことが吐き出せなかった・・・

大声で喚いてしまう。叫んでしまう。同じことを繰り返し言ってしまう。

我慢し続けて来たことを精算してから旅立とうと、老後に現れてしまうのだと。

もしそれが本当なら、

今現時点で体が元気なうちに自分の思いに正直に生きたいと思います。

そして介護するにあたって、相手のそんな事情を組んであげたいと思います。