一昨日、7月13日
大好きなかずねえこと、田島和子さんのお母様のお通夜があり、
急遽、長男の保護者会を欠席し、静岡の清水まで行って参りました。
お通夜の情報が入った次の瞬間、身支度をしていました。
都内に出るのとは訳が違い、往復7時間以上かかる距離ですし、
帰りの事を考えると、現場にいられる時間はわずかしかないと予想されましたが、
それでも、何はともあれ、かず姉に会いに行きたい!と
体が向かっていました。
夕飯をぱぱっと作り、子供達への書置きをして
きちんとした喪服ではありませんでしたが、黒のワンピースを着て
髪をふり乱したまま、草薙駅までの行き方もよくわからないのに、
電車に飛び乗っていました。
私も主人の葬儀の喪主をした時、忙しい中にも
遠方から駆けつけて下さった友人の顔を見つけては、
只々有難くて、悲しみよりも感謝の思いでいっぱいだった事を覚えています。
だから、わずかな時間でも、実際に会って目を見て、手を握り、言葉を交わし、
同じ時間、空間を共にしたかった。
かず姉は私の理想とする女性で、昨年の12月、初めて出逢った時から
頭の片隅に住み着いていました。
今年のゴールデンウィークに静岡で再会し、ますます憧れるようになりました。
*「田島和子」で検索下さい
お花屋さんですが、ご主人と共にライブハウスを経営されており、
そのライブハウスに初めて入った時に、心がわくわくしたのを覚えています。
次にくる時はここで歌いたいと。
実際、2回目に訪れた時、30人の前でピアノの弾き語りをさせて頂いたわけなんですが
その時、8月のライブの依頼を受けました。
ライブまであと3週間しかないので、
お母様が亡くなられたばかりで、ライブは無理かと思っていましたが
お通夜で私の顔を見つけると驚いた表情で駆け寄って来て
“どうして?どうして?こんな遠くまでやって来たの?信じられない・・・
泣かないって決めてたのに~”と
目を真っ赤にして抱き着いてきました。
そして、“ライブ延期にしようか・・?”と言いながらも
“やっぱり、やろう!こんな時だからこそやってみよう!”と
自分に言い聞かせるように、言って下さいました。
8月4日(土)の午後、銀座シャルで開催します。
お母様のお顔を拝ませて頂き、ひたすら“ありがとうございます”を繰り返しました。
というより、その言葉しか出てこないんです。
“かず姉を産んで下さり、本当にありがとうございました。”
“かず姉を育てて下さり、本当にありがとうございました”
“かず姉を愛情溢れる女性にして下さったお母様に心からありがとうございます”
なんとも言えない、穏やかで、可愛らしい表情の、ほっと安堵したような
お顔をしていらっしゃいました。
90歳とのこと。
この7年間は、かず姉が介護をされていたわけなんですが
その日々は誰が見ても頭が下がるような懸命な尽くしようで
母娘の絆もどれほど深まったか知れません。
かず姉を母と慕う人は全国に大勢います。
もちろん私もその一人です。
てんつくマンや筒井のアニキ、古市佳央さん、ロックバンドおかんのメンバー、他
今、日本全国を飛び回って活躍中の人達は、かず姉から
たくさんの愛情をうけ、信頼され、期待され、育てられた過去があります。
“みんなのお母さんになりたいの” が口癖のかず姉。
こんな器の広い人に育てて下さったお母様に、ご挨拶出来て良かったです。
肉体を脱いで、これからはいつでもかず姉の傍に寄り添っていかれる事でしょう。
最終電車で帰宅。
家の中は出かけた時よりも片付いていて、
慌てて作っていった夕飯も綺麗に食べ切っており、
洗濯物も取り込んでいて、ほっとしました。
私の書置きの字体や内容に、子供達なりに感じるものがあったのかも知れません。