2011年10月14日金曜日

No11・入間地区教育委員会連合会

10月13日(木) 狭山東武サロンにて

平成23年度 入間地区教育委員会連合会 全体研修会が行われました。

日高市教育委員になって、初めての研修会です

演題:『つなげよう!学校と地域社会~子供達の未来を拓く為に』

講師:藤原和博先生

(前・杉並区立和田中学校校長  東京学芸大学客員教授 )


藤原先生自ら、おっしゃいましたが

歌手のさだまさしさんに瓜二つで教育界のさだまさしと名乗って下さいました。

90分の講話があっという間で、まだまだ聴いていたかったです。

藤原先生のお話は決して理想論ではなく、

一環して、きちんとした証拠と、具体的な結果のある

現実的な内容でした。

今、時代は

「成長社会」から「成熟社会」へ移行したという事



戦後日本の『正解主義』教育の目標は

早く正確に『正解』を言い当てられる人材の大量排出でしたが

今は、多様で、複雑で、変化の激しい社会なので

現実の社会にありもしない「たった一つの」正解を求めて、

100回会議を重ねても何の意味も無いと。

テストで採点すれば『見える学力』として現われるけれど、

想像力、イメージできるかどうか等は

テストでの採点が難しいから『見えない学力』と呼ばれるらしいです。

21世紀、これから大事になるのは、

知識や技術を組み合わせて「納得解」を導く力、

つまり『情報処理力』より『情報編集力』。

『正解』 と 『納得解』

この二つの言葉に私はとても整理されました。

特に 『 納得解 』という言葉を初めて知りました。

実際、面白い実験が会場の参加者の間で行われました。

藤原先生が “わかる人~?!”と、ある質問をしました。

すると・・・

誰一人として手を挙げないんです。

会場はそれぞれの地域の教育委員ですよ。

では、なぜ答えられなかったのか?

それは

“わかる人?”と言われ

会場が「正解主義モード」に染まってしまったからなんです。

正解を~、いわゆる100%正しい答えを~

求められていると思うから手がすくんでしまうんですんね。

そこで、

藤原先生が言いました。

人格を否定されてしまうくらいの、バカげた案を出してみて下さいと。

そう言われ、私の頭の中は突然クルクル回転しだしました。

アイディアがどんどん湧いてくるんです。

常識に捕われない自由な発想に、自分でもわくわくしました。

そして 

それらを席の近い者同士で意見交換したり、相談し合ったりする中で

可能性がどんどん広がっていくような感覚がありました。

『クリティカル・シンキング』

常識を、いったん疑ってみる


もう一度、当たり前 を見直してみる。

持っている知識をきちんと確認してみる。

実際、参加者に対して、藤原先生から質問がありました。

① 高波と、高潮と、津波の違いについて説明して下さい

② 喪服が黒い理由を説明して下さい

誰も本当の意味、理由を説明出来ませんでした。

藤原先生から本当の答えを聞いて、

“へぇ~!” とか “なるほどぉ~!” という声が

会場のあちらこちらから聞こえました。

『目からうろこ』体験が必要

感動した事は忘れないものですよね

皆さん、是非とも答えをご自身で調べてみて下さいませ。

ぼうっと話している言葉のひとつひとつが曖昧なままではいけないと

私も身に沁みました。

「常識を疑ってみる」って今の時世、必要な気が致します

確認作業が必要です。

講演の中で私が一番響いたのは、

学校の『役割』

私が理想としていた学校教育を、藤原先生は既に実践され

成功されていたのです。

生徒と地域を繋ぐ役割を学校で行う。

学校の先生方の応援隊として、

教員を目指す大学生達、塾の先生方、団塊世代の方々に味方になって貰う

例えば土曜日・寺子屋(略してドテラ)を任せる。

私も教育実習の3週間、母校で中学生に教えましたが、

歳の近い実習生は、生徒達にとっては親しみやすく、

特別な存在の様でした。

秋田県では小学生に、高校生が教える事があるらしいです。

また生徒にとって、学校の先生は

「自分を評価する人」であり、

それだけでなく、親もまた

「自分を評価する人」になってしまっている。

だから、学校にいても、家に帰っても評価されて、息苦しい状態。

寄り道できる場所を求めて、逃げ場となるのが、

保健室。

藤原先生の素晴らしいところは

校長室を第2の保健室にしてしまった事。

校長室には何百冊もの漫画本が置いてあるそうです。

そして、

図書室を第3の保健室にした事。

図書室の運営・管理はボランティアに任せているそうです。

同じ校舎の中でも、評価を下されない場所がある。

図書室にはいつも、本の好きなおばちゃんがいる。

親でもない、先生でもない、只のおばちゃんの居心地の良さに出会える。
保護者である無しに関係なく、一緒に経営していく

地域を巻き込んだ授業、地域に開かれた学校

地域と学校の両輪。
                           
    杉並区和田中学校の取り組みをまとめた映像を見せて頂きました。

親子関係を縦軸、兄弟や友達を横軸として

斜めの軸の重要性を知りました。

というより、実感しました。

「斜め」=つまり他人です。

自分の子供に対しては、期待する余り

ついついダメ出しをしてしまいます。

熱心な親であればある程、陥りやすいそうです

しかし、よその子供に対しては、

限りなく優しくできます。

勇気づける事も出来ます。

褒めちぎる事にも違和感は全くありません。

実際、私も娘や息子の友達に対しては賛美しまくってます。

子供は実は、褒めて貰いたい。

認めて欲しがっている。

だから

褒められると嬉しい。楽しい。気持ちが良い。自信がつく。

それを斜めの関係に於いて、存分にしてあげればいいんです。

そして、その役割を担当する人もやりがいがある。

両者が一緒に充実した時間を共有できるわけです。

実は以前、次女の授業参観の時、いたたまれず

ついつい担任の先生をさておいて

自分が前に出て指導してしまった事があるんです。

もう時効ですかね

単元は体育のマット運動でした。

年配の先生がマット運動の模範を示してあげるのは、

正直、大変な事だと思いました。

でも、実技というものは、口で教えてもなかなか伝わらないものです。

目の前で示してあげないと。

“ちょっとしたアドバイスで出来るようになるのにぃ~”と

もどかしくなってしまい、一応、担任の先生の許可を頂き、

私はマットの上で、解説しながら、実際に動いて見せました。

悪い例と良い例の違いを具体的にやって見せながら

納得させました。

そしていくつかの業を組み合わせて模範演技を示しました。

子供達はとても驚いていました。

突然の事に

参観していた他のお母さん達も、かなり驚かれた事と思います。

私は子供に教える事に夢中になってしまい

お母さん達がその場にいた事さえ忘れてました。

でも、私のアドバイスを受けてコツを掴んだ生徒達が

本当に嬉しそうなんです。

出来なかった事が出来るようになる瞬間を見てあげられた私自身も

嬉しかったです。

あの時、毎日学校に来て教えてあげたいと思ったくらいです。

今日の藤原先生の講演を聴いていて

自分の経験や知識を若い世代に伝えたいという地域の方々に

その場を提供してあげられたらと思いました。

それは、年に一回のお祭り的な行事ではなく

長期間、定期的に継続出来なければ意味がないという事です。

土曜の寺子屋は効果がありそうです。

地域と学校を繋ぐ為のコーディネーターもきちんと組織して

人を選別しながら、実際に出来たら

学校から、町全体を活気づけていけるのではないでしょうか?

いきなりは出来ないかも知れませんが、

和田中学校が実際に実績を残しているわけですから

取り入れられるところは挑戦してみてもいいのではないかと思います。

それからドキッとしたのは

『数学と英語の理解度』 がポイントという話。

積み重ねの科目は一度つまずくとさっぱりわからなくなってしまいます。

分けのわからない授業を45分も耐えるのは

生徒にとってはかなりのストレス。

『分からない』 = 『イラつき』

生活指導でどうにかするのではなく、学習指導でフォローするべきと。

授業が良く理解出来て、楽しければ

イラつくことも無いでしょう。

授業が充実していれば、いじめや非行などにエネルギーを使わずに済む

と、思います。

数学は算数の土台の上に成り立ちますから

小学生の算数から固めて行かなくてはならない分けです。

長女は高校2年生ですが、数学が楽しくて仕方がないと言います。

部活動では部長をしており、睡眠時間も短く

大変そうですが、恐らく数学の面白さを味わえるから、

学校生活が充実しているのかもしれません。

逆に次女は数学と英語が苦手で、それが故に勉強が嫌いです。

彼女なりに行事や友達との関係で楽しみを見つけているようです。

今更ではありますが

数学と英語のつまずきを取り除くところからやり直させたいと

反省しているところです。

今日の講演の内容を、現場の先生方と一緒に聴きたかったと

あるいは、保護者、地域の有識者の皆さんと参加出来たら良かったと

感じました。

この度、研修会に参加させて頂き感謝しております。