10月8日(土) 坂戸高校の音楽室にて
『目が見えない・これが私の個性です』と題して講演会が行われました。
講師は声楽家(ソプラノ歌手)の、田中玲子さん。
ピアノ伴奏はヤマハ音楽振興会・指導員の本間礼子さん。
田中玲子さんはご自身の半生を語りながら、合間に歌を5曲披露して下さいました。
中学生の頃から、目の異常に気づき、高校は盲学校に進み、点字受験で武蔵野音楽大学に入学。
平成10年、視覚障害者の仲間と心身障害者地域ディケア施設を立ち上げる。
現在三児の母。
各種コンサートへの出演や講演を通して、障害者になって思う事、経験した事、理解して欲しい事等を話していらっしゃいます。
田中さんの壮絶な人生に、会場のあちらこちらからすすり泣く声が聞こえました。
目が見えないことを理由に、諦めたくないと どんな事にも前向きに取り組んで来られた強い方です。
体の一部が無くても、他がカバーしてくれる
目が見えずとも生きていける!
目が見えなくなったからこそ、人が気付かない事に敏感になった。
昭和37年生まれで、私よりお姉さんなのに、
まるで少女のような表情と、声、話し方なんです。
参加者は坂戸高校の保護者でしたので、
子育ての話になると、自分と子供の関係に重ね合わせて聞き入っているようでした。
“いつか、見てみたいものがあります。”と・・・
その内容に思わず感極まって、泣いてしまいました。
まず、長男の文字。
ご長男は、幼い頃から 田中さんの代わりに書類などを書いてくれていたそうです。
ひらがなを覚えると、その小さな手で全部ひらがなで代筆してくれたそうです。
数字を覚えると、買い物に出かけた時、商品の値札を読んでくれてとても助かったそうです。
今、大学生のお嬢さんは養護教員の資格を取る為に勉強に励んでおられるとか。
絵が得意なので、いつか学校の保健室を自分の絵でいっぱいにして、
保健室に来る生徒達を癒してあげたいんだそうです。
上のお子さん達を出産した時は、まだかすかに視力があったそうですが、
三人目のお子さんを出産された時には、完全に視力を失っていたそうで
“次男の顔を見てみたいです”と、
何も映っていないはずの瞳をきらきら輝かせて、ニコニコしながら言いました。
今、小学2年生だそうですが、
幼稚園の頃、田中さんの瞳をじぃっと見つめて、不思議そうに聞いてきたそうです。
“ねぇ、お母さん。本当に何にも見えていないのぉ?”と
“どうしてぇ~?”
“だってさぁ、お母さんのおめめの真ん中に、ぼくの顔が写っているよぉ”
こんな会話は、私達健常者には想像もつかない事ですよね・・・
でも、ゆるぎない親子の絆があるのだと感じました。
そして、お子さん達の立派なところは、お母さんを丸ごと愛していること。
田中さんがお子さん達に尋ねたそうです。
“目の見えないお母さんでなければよかったのにって思う?”
すると
“見えたらいいのになぁって思った事ないよ。”
“だって、目が見えないのが僕のお母さんだから”
“でも、私の書いた絵を見せてあげたいなぁ~”という応えが返って来たそうです。
本当に温かい家庭だと思いませんか?
何より田中さん自身が、とても希望に溢れていらっしゃいます。
“いつか見える日が必ず来ると信じています!
見えた瞬間を思うと、今からわくわくします。”と・・・
その嬉しそうな表情を拝見していると、こちらまでその瞬間がやってくると確信出来ました。
田中さんのお父様が、視力を失った時におっしゃったそうです。
“人は自分を必要とする人がいるから、生まれて来るんだよ”
深いお言葉ですよね。
現在、田中さんは小・中学校などで講演活動をされているそうですが、
講演後のアンケートを見て反省することがあるそうです。
小学生達の感想文に“目が見えなくて可哀相”という内容を見つけると
“人に可哀相と思われる様な生き方をしている自分ではいけない”と思うんだそうです。
でも、少なくとも私は昨日の田中さんのお話を伺っていて、
“可哀相”などとは、これっぽっちも感じませんでした。
只々頭が下がりっぱなしでした。
親子共々健康で、何不自由なく暮らしているのに、欲が出てきてしまう。
可哀相なのは私の方では?と恥ずかしくなるくらいでした。
最後にお願いがありますと、切実に話されました。
放置自転車について。
放置自転車を杖で避けて通って行くうちに、進行方向が分からなくなってしまったり、
体が触れて倒れていまい、何度もけがをされた事があるらしいのです。
自分が怪我をする分には構わないのだけれど、
自転車に大切なものが乗っていた場合、
卵や果物なら、買って弁償出来るけれど、
いつか幼児が一人で乗せられていた所に当たってしまい、
とっさに手荷物を投げ捨て、自分の手で受け止めることが出来たそうです。
また白い杖で歩いていると、幼い子供が親に
“あの人、どうしてとんとんしながら歩いているの?”と質問する場面に合うそうです。
そうすると、大概は、
“いいの、いいの。じろじろ見ないで、早く行きましょう”
と言って立ち去ってしまうのだそうです。
そういう風に言われて育った子は、そのあと、同じような場面に出くわした時、
視覚障害者を無視してしまう。
もし、“あの人は目が見えないから、杖を使って、足元を確かめながら歩いているんだよ。
危なさそうだなって思ったら、手を貸してあげるんだよ”
と言われたら、その子はそこで人を思いやる事を学べたはずだと。
それから障害者用のトイレが設置されていないトイレでは付き添いでやむを得ず
男性が付添で女性用トイレに入らなければならないこともあるそうです。
人の行動を見て何か変だな・・と感じた時は
そうしたくてしているのか、そうせざるを得なくてしているのか
ちょっと考えてみて欲しいと、
そうしないと生きていけない人がいる事を思い出して欲しい・・・と
ご自身の経験談を交えて語って下さいました。
田中さんの歌声は、とても優しさに溢れていてすっかり癒されてしまいました。
聴いている私達の様子は全く見えていないわけです。
でも観客全員の心に、確実に届いたと思います。
私も目を閉じて聞きました。
歌は耳で聞くものではなく、心で聞くものだなぁ~と感じました。
私もライブが近いので、聴く人の心に届けられるよう
私自身の心に情景を描きながら、送りたいと思いました。
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