先月、東京のヤクルトホールの楽屋でご挨拶させて頂いた
はづき虹映さんから、今日こんなメルマガが届きました。
泣きました。
そんなことで泣いちゃうの?と呆れてしまうかも知れませんが
ど~っとこみあげてきてしまったら、もう止まらないんです。
あまりに痛いところを突かれた
ツボにハマった。
ご紹介します。
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あなたらしさ
「成長」
私たちは何かに「なる」為に
「成長」
する為に生まれてきたのではありません。
残念ながら?
魂は「成長」することは出来ません。
私たちは何かに「なる」必要はありませんし
何か別のものに「なる」ことも出来ません。
トマトがリンゴになる事は出来ませんし、
なる必要もありません。
形が変わって、外見的に大きくなったからと言って
それを「成長」していると思い込んでしまうと苦しくなるだけです。
私たちは常に聖人であったかどうかを問われている分けではないのです。
聖人を目指す必要もありませんし、
聖人になる事が「成長」の証しでもありません。
問われるとすれば、唯一つ。
「あなたがあなたらしく、あなた自身であり続けたかどうか」を
自らの内側から問われることになるのです。
あなたがあなたらしくいることを、
果たして「成長」と呼ぶのでしょうか?
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よくわかってしまったんです。
魂は成長しないんだと。
成長ではなく、如何に自分らしく生きるかを目標にするべきなんだと。
あなたはあなたのままで、あなたらしく。
「あなたらしく、あなた自身であり続けたか?」
そこの部分、心底響いてしまった。
電車の中で読んで、人目もはばからずに泣いてしまいました。
化粧が崩れて行くのもノープロブレム。
どうして最近そんな言葉ばかりに出会うのか?
簡単です。
私が今、答えを求めて止まないからです。
真剣に求めているから、あちらこちらから引き寄せているのでしょう。
今、私らしさを かなり見失っているのだと思います。
このままの私ではいけないのではないかと、自分を変えようとして見るものの
苦しい一方で悶々としています。
でも、“これが私です。私なんです。 ” となる。
自己正当化ではないか・・・?と、また、悩む。
それでもやっぱり
“ このままの私ではいけないんでしょうか?”と内側から尋ねてくる。
そんな日々の中で、
「トマトがリンゴになる必要はない」というはづきさんの言葉に心が震えた。
確かにトマトはリンゴになりたがってはいない。
人間もそれを望んでなどいない。トマトはトマトのままでOK
私が自分を“こんな自分じゃいけない”と どんなに否定してみたところで
私以外にはなれない。
どんなに私が自己嫌悪に陥ったところで、私は私のままで生きるしかない。
私が勝手に自分の「欠点」だと思い込んでいる部分が
もしかしたら、私ならではの「個性」なのかもしれない。
それ故に私なのかも知れない。
それを、外側からちょっと指摘されたからと言って
自らも一緒になってダメ出しをして、押しつぶそうとするから
こんなに苦しいのかも知れない。
でも 〇〇でなければならないとか
〇〇であるべきだとか
そんなことはないんだと思う。
「あなたがあなたらしく、あなた自身であり生き続けたか」
なんと、的を突いた言葉だろう!
あとは 私らしさ を確認するだけ。
子供達にも、〇〇でなければならないなんて言ってはいけないのだ。
子供こそ、「自分」を満喫しているではないか?
本屋さんで、はづきさんのコーナーがこれほど注目され
120万のベストセラーになるわけが分かるような気がします。
来月の私の誕生日、6月30日、はづきさんとお会いすることになりました。